最新の投稿

The Truth of Japan-China War

第二次上海事変の真相3ー蒋介石軍の無差別空爆

8月13日の支那軍の日本租界への不法発砲事件の翌日、8月14日には、蒋介石政府軍(支那軍)の空軍が、上海市街に無差別空爆を行いました。この空爆も、日本がやった様な「誤解」があるようですが、日本軍はやっていません。上海は、…
続きを読む

第二次上海事変の真相2ー日本租界への支那軍の不法発砲

南支那では、蒋介石政府の保安隊(警察隊)により、昭和12年(1937年)8月9日の大山大尉らの惨殺事件の後、8月13日には、今度は、蒋介石政府軍により、上海にあった「日本租界(日本人居留区)」へ突如の不法発砲事件が起こり…
続きを読む

第二次上海事変の真相1ー大山大尉惨殺事件

第二次上海事変は、1937年8月13日に蒋介石政府軍の「日本租界」への不法射撃を発端として勃発した日本と蒋介石政府軍との軍事衝突とされています。しかし、この4日前に、1937年8月9日には、日本海軍の大山勇夫中尉が蒋介石…
続きを読む

北支事変の真相3ー蒋介石政府軍の構成

北支事変から始まる日中戦争は、日本軍の圧勝に継ぐ圧勝でした。兵力差では、蒋介石軍は275万人規模です。日本は、本国での経済活動の人員確保もありますので、せいぜい10万か、頑張って集めても20万は派兵出来なかったでしょう。…
続きを読む

北支事変の真相2ー蒋介石政府軍の軍事規模

満州方面や内蒙古方面から、中国内陸部へは、北京を経由し、盧溝橋という橋を通って鉄道輸送が行われていました。日本にとっても満州にとっても、この鉄橋を破壊された場合の経済損失は多大なものがありました。蒋介石政府では、常に、日…
続きを読む

北支事変の真相1ー盧溝橋での不法射撃事件

北支事変とは、中国全土が蒋介石政府からの分離独立を図った「軍事クーデター」であり、中国北部側での軍事紛争のことを言います。発端は、1937年7月7日、北京城の西南にある盧溝橋という橋の付近で、日本軍が夜間演習中、蒋介石政…
続きを読む

張学良西安事件7-張学良の裏切り

西安事件では死傷者も出ており、蒋介石と張学良が、共産党との停戦のために「一芝居打った」とは考え難いです。しかしながら、結果的に、敵対する共産党との「停戦」に至り、既に「財政破綻」していた蒋介石にとっては「望むべく展開」に…
続きを読む

張学良西安事件6-張学良の処分

西安事件(西安事変)を起こした張学良のその後ですが、昭和12年2月発行の「歴史写真」の巻末にある「世界日誌」にて、続報が掲載されています。 昭和12年2月(1937年2月)発行「歴史写真」から 昭和11年12月(1936…
続きを読む

張学良西安事件5-なぜ蒋介石を暗殺しなかったのか?

張学良は、蒋介石を西安で監禁し、蒋介石軍とは「軍事衝突」を前提に軍を集結させていました。現在の一般的な歴史認識では、蒋介石軍の方が、張学良と楊 虎城(よう こじょう)の連合軍よりも、軍事規模が大きく、張学良は勝つ見込みが…
続きを読む

張学良西安事件4-張学良の基本戦略

西安事件での張学良の要求は、Wikipediaには「共産党の討伐停止」や「政治犯の釈放」など8つの項目だったと記載されています。ですが、ここでは当時出版された「歴史写真」の記事を基に、「容共政策の実施」に絞って、張学良の…
続きを読む