朝鮮半島の日本併合の真相7-李承晩と蒋介石

朝鮮半島の日本併合の真相7-李承晩と蒋介石

李承晩と蒋介石は抗日反日の同志でした。中国で独裁を展開した蒋介石と、朝鮮半島で独裁を目論んだ李承晩は、「反日」で利害が一致しました。日本併合以降、特に、日中戦争では蒋介石と李承晩が行動を共にしていたことは明白です。日本に原爆を落としたのはアメリカです。しかし、アメリカを騙して、日本に原爆を落とさせたのは、李承晩と蒋介石です。残念ながら、蒋介石と李承晩との関係は戦後の歴史では殆どし知られていません。必然的に、韓国が、なぜここまで日本に執拗に敵対的であるか、その理由は、日本人にも韓国人にも知られていません。

李承晩と蒋介石の同盟

李承晩は、朝鮮の日本併合の直後の1919年に、中国の上海で大韓民国臨時政府、現在の南朝鮮(韓国)の母体となる政府を立ち上げました。また、1937年8月には、韓国光復運動連合団を南京で結成しています。南京は蒋介石が中華民国の大統領府(首都)としていた場所です。1937年8月は、日本軍が上海へ上陸しました。李承晩は、日本軍に対抗するかのように、韓国光復運動連合団を結成しました。蒋介石は、南京での韓国光復運動連合団の結成を支援をしていました。

また、李承晩は1940年に中国の重慶で、韓国光復軍という軍隊を結成しています。中国の重慶は、蒋介石が南京攻略で大敗の後に、最後の砦として逃げ込んだ場所でした。李承晩が、蒋介石と常に行動を共にしていたかは不明です。しかし、蒋介石が、日清戦争(Japan-China War)で日本に大敗し、アメリカへ逃亡した際には、李承晩も一緒であったと言えるでしょう。アメリカと日本の間での戦争は、蒋介石の妻である宋美齢が全米を巡り、アメリカ人を騙した結果です。李承晩もアメリカで、同じように、日本は朝鮮を侵略している」と卑劣な大嘘をバラまいていました。

 

李承晩によるアメリカでのロビースト活動

蒋介石がアメリカに接近し、夫人の宋美麗はアメリカで積極的な抗日反日活動をしていました。同様に、同じ時期、李承晩もアメリカで「日本は朝鮮を侵略した邪悪な国」だと主張しロビースト活動を続けていました

倭人(Wajin=古代日本人)の末裔である金氏にとっては、日本併合は、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)からの「奴隷解放」の意味がありました。日本にとっては民族領土の奪回を意味します。一方、李氏王家(Rhee Dynasty)の分家である李承晩からすれば、倭人の奴隷解放も、日本との同盟も、許し難いものがあったかも知れません。李氏朝鮮(Rhee Dynasty)は「征服王朝」であり、倭人の奴隷は卑しい低俗な人々だとして差別されていました。統治者側の人々は、奴隷を国民に格上げすることは、容易には許せなかったかも知れません。分家にすれば、本家に謀反を起こす格好の理由になったでしょう。

李承晩と、李氏王家(Rhee Royal Family)の分家の人々は、日本併合の前に、朝鮮半島から、中国やアメリカへ亡命していました。そして、外国で韓国政府の母体を形成しました。そうした人々は、当時の中国、アジア、朝鮮半島での「ヨーロッパ諸国による植民地化危機」については、正しく理解していなかったようです。必然的に、日本併合により、朝鮮が一気に国家としての態勢を整え、繁栄していった過程も全く知らなかったでしょう。もちろん、朝鮮の王家の血肉の争いのような「後継者」を巡る権力闘争の歴史を考えれば、李氏朝鮮の本家と金氏朴氏一族に、朝鮮の建直しをさせてから、そっくり略奪しようと計画していたかも知れません。

李承晩ら李氏王家(Rhee Royal Family)の分家一族にとって、本家との対立の理由が「朝鮮王朝の略奪」が目的であれば、抗日を唱え、日本が植民地化したと主張し「李氏朝鮮の独立」をスローガンにする必要があったでしょう。

以下は、Wikipediaからの李承晩の経歴です。

李承晩は、若い頃よりアメリカとの関係が深く、1896年、21歳の時に「独立教会」に参加しています。日清戦争は、1894年7月25日から1895年4月17日です。また、大韓帝国は、1897年から1910年まででした。李氏朝鮮(Rhee Dynasty)は建国以来、中国の属国でした。清帝国にとっても同様でした。1896年の「独立教会」への参加では、清帝国からの李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の独立を目指していたと言えます。

李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の属国解放(独立)は、1895年、日清戦争で勝利した日本により達成しています。1897年に、李承晩は、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の王であった「高宗」に退位要求している史実から、李承晩は、当初より、李氏朝鮮王族(Rhee Royal Family)の「本家」に対して「敵対的」姿勢であったことが伺えます。この「高宗」への退位要求は、「高宗」が李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の「属国解放」を達成したことで、日本と親密な関係を築いたことによる反発でしょう。

上記の李承晩の行為は「謀反」です。当然、投獄されました1904年に「特赦」で出獄し、その後、すぐにアメリカに亡命しました。その後、1910年、大韓帝国のままでは、欧州各国から植民地化の標的にされること、ロシアの南下から朝鮮半島を守る必要性から、朝鮮半島を日本に併合しました。

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英語版は、李承晩を参照

 

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上記の略念表の通り、李承晩は、日本併合中は朝鮮半島にはいませんでした。要は、李承晩も反日の分家も、朝鮮半島での経済発展や鉄道や都市のインフラ整備など、朝鮮の国家としての復興には、一切、何一つ、関わっていなかった人間です。そうした日本併合による、朝鮮半島の安定と繁栄を知らず、または、その事実を無視して、蒋介石と共に、李承晩は、日本の国内外で反日抗日のテロ活動を繰返していました

蒋介石は、イギリスの中国植民地化政策での「中国人側の手下」となった人物です。当時の、中国、日本、アジアからすれば、「最大の敵」だった人物です。蒋介石と異なり、李承晩は戦争など表立って日本とは戦っていないため、日本側も李氏朝鮮王族本家側も、李承晩については、余り「危険視」していなかったと思われます。アメリカに敗戦後、急に李承晩が出て来て、朝鮮半島を大混乱に陥れました。

上のWikipedia略念表には記載がありませんが、中国の上海で1919年に大韓民国臨時政府(韓国の母体となる政府)を立ち上げました。1937年8月には、韓国光復運動連合団を南京で結成しました。1937年の南京での連合団の立ち上げについては、当然、蒋介石の後ろ盾があって実現したことは明白です。

 

Wikipediaより 写真ー蒋介石と李承晩(台湾(中華民国)訪問)

歴史の史実から言える事は、日中戦争(Japan-China War)は、日本と蒋介石の戦いでした。蒋介石は日本の大敵であった人物です。その蒋介石と同盟を汲んでいた李承晩も、当然、日本の大敵でした。

歴史の史実として、蒋介石がアメリカを騙して日本に対し戦争させたのは明白であり、李承晩もまた、30年に渡るアメリカでのロビースト活動を行っていました。李承晩が加担したことは想像に易いでしょう。

朝鮮半島は、当時、既に、日本領から外れて1000年以上が経過し、朝鮮人となった「倭人(古代日本人)」の多くが、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)が異民族の征服王朝であったことも、自分達が征服された「倭人」だったことも知らずにいたでしょう。日本と李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の間には、ある意味、古来からの「敵対関係」があったとも言えます。

この過去からの因縁ともいえる対立は、日本併合を通して「完全融和」する予定でした。しかしながら、李承晩ら李氏王家(Rhee Royal Family)分家一族の介入により、融和は失敗しました。更には、日本がアメリカに大敗し、朝鮮半島から撤退した後は、その対立が激化してしまいました。その後は、倭国系の金氏と、中国系の李氏の対立が戦争にまで発展し、これが、南北朝鮮の分裂に繋がっています

日中戦争(Japan-China War)では、中国では日本と蒋介石の戦いでしたが、朝鮮半島では倭族である日本と鮮卑族である李承晩との戦い(異民族間の戦)が密かに起きていたのです。

李承晩は蒋介石と非常に近い関係で、アメリカでは蒋介石夫人と共にロビー活動を展開していたため、アメリカ大統領や有力政治家や財界とも強いパイプがあったようです

1945年8月15日に日本の敗戦確定と同時に、李承晩がアメリカ軍を引き連れて朝鮮半島に戻れたのも、そうしたロビースト活動の結果でした。日本から朝鮮の統治権をあっさり奪えたのも、蒋介石の背後で虎視眈々と機会を狙っていたためでしょう。

1945年10月に、アメリカの支援を受け、李承晩は韓国(South Korea)を樹立し、初代大統領に就任しました。1945年8月15日は日本の終戦記念日です。しかし、反日の李承晩とすれば、確かに、侵略者の日本から独立した記念日となるわけです。その後も、韓国(South Korea)では、1945年8月15日を独立記念日として、毎年国を挙げて祝賀祭を行っています。

中国では、蒋介石は日本と直接戦いを展開していたので、日本も中国も蒋介石には注意を払っていました。しかし、日本は李承晩とは一切戦闘していません。そのため、日本併合時代には、李承晩に対抗できる強固な朝鮮人軍隊は形成していなかったかも知れません。李承晩の軍隊は、ある意味、ノーマークだったと言えます。そのため、日本は、李承晩とアメリカによって、日本と朝鮮が分断される事を想定していなかったでしょう。

結局、日本は朝鮮半島から完全撤退を余儀なくされ、残った李氏王族(Rhee Royal Family)の本家の人々と、金氏朴氏など倭国系の日本併合派が、アメリカと共にいきなり戻って来た李承晩に対抗すべく、ロシアの支援を求める事態となりました。結果、金日成が1945年10月に、共産党政府を立ち上げたのです。

金日成は共産党員でしたが、中国革命時の毛沢東と同様の役割を担っていた可能性もあります。ロシアの南下を阻止するパイプ役だったかも知れません。金さんであれば倭人(古代日本人)の末裔です。日本併合の際、金氏は、日本と協力し、奴隷解放を果たしたともいえます。金日成は、当然、日本にとっては協力関係だったでしょう。一方、李承晩はこれを見越して、帰国直後から、金氏朴氏など日本併合派の大虐殺を繰返しました。大量の成人男性が処刑されれば、日本併合派の兵力削減となり、結果、金氏勢力の潰滅を図りました。

朝鮮半島の南北分断は、こうした李承晩と韓国政府が自ら起こした事態です。

 

日本に原爆を落とさせた真犯人

 

日本に原爆を落としたのは、アメリカです。

しかし、アメリカに原爆を落とさせたのは「蒋介石」と「李承晩」です。

韓国に「原爆投下の責任がある」と言っても過言ではありません。

 

李承晩と分家の人々は、朝鮮半島の発展には実際には全く貢献せず、日本併合派の朝鮮人が「朝鮮半島」を必死に築き上げて来ました。彼らはその「朝鮮半島全土」を横から出しゃばって来て奪おうとしました。その結果、朝鮮半島が南北に分裂し、南に建国したのが韓国です。

 

上記は、このサイトの制作者である私が、日本は韓国と国交断絶すべきと主張する理由の一つです。

 

 

 

在日韓国人(南)、
在日朝鮮人(北)、

帰化韓国人(南)、
帰化朝鮮人(北)、

皆様に言いたい!

日本の敗戦後は、「李承晩の大虐殺により、日本併合で、日本人へ復帰した人々と、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の本家の皇太子と共に日本へ渡来た人々が、朝鮮半島へ戻れない状況が起りました。

皆様の先祖は朝鮮半島に戻りたくても、戻れなかった人々です。そうして、現在の「在日朝鮮人(北朝鮮系)」が形成されて行きました。
(韓国(南朝鮮)建国前)

 

韓国建国後、朝鮮戦争の休戦後は、韓国では、独裁からの脱却を目指し、市民や学生の民主革命(反乱)が全国規模で多発するなど、国内政治の情勢不安が起りました。結果、各地では韓国政府軍による「民間人の大虐殺」が継続していました。

結果、朝鮮半島から大量の韓国人が生き延びるために、日本へ密入国して来る事態になり、現在の「在日韓国人(南朝鮮系」が形成されて行きました。

(韓国(南朝鮮)建国後)

 

この当時、

大量の韓国人避難民の密入国を「許可」

帰化の優遇政策など「救済措置」

を決めたのは、

日本政府であり、自民党です。

更に言えば、結局は

日本の天皇陛下

 

 

在日朝鮮半島出身の人々、特に在日韓国人(南朝鮮)の人々が、生き延びて、今、この日本で暮らしていられるのは、日本政府と自民党が支援したからです。何より、天皇陛下のお陰です。

 

なぜ、あなた方「在日」は、「命の恩人」である日本に対して敵対するのですか?

日本政府や自民党は「味方」です。それを、まるで「親のかたき」かのように、常に反発を繰返している。

 

 

誰が、皆様の家族や親族を「虐殺」し「弾圧」したのか?

「李承晩」であり「韓国政府」ですよね?

 

その上で、

北朝鮮の軍事的な制圧による朝鮮半島統一に、

在日(Koreans)」に「嘘の歴史」を吹き込み

日本を軍事利用する為に

韓国政府は皆様利用してますよね

 

どうか皆様の本当の歴史を知って下さい。

騙されていることに気付いて下さい。