カテゴリー: 07満州事変の真相

The Truth of Japan-China War

満州事変の真相6ー大凌河鉄橋警備

日本軍が奉天を占領し、蒋介石軍(東北軍)を追い出し、奉天の治安維持が順調に回復したのを見届けてから、張学良は自ら奉天を退城し、少し南の錦州という都市へ軍事拠点の移動を行っています。地理的に見ると、北京のある中国北部と、奉…
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満州事変の真相5ー張学良の長期闘病

満州事変は、中国東北部(満州地域)を蒋介石政府(中華民国)から完全分離し、国家としての独立を目指した軍事クーデターです。蒋介石の統一政府から満州東北部を分離をするためには、何よりも先ず、蒋介石軍を満州東北部より全面撤退さ…
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満州事変の真相4ー柳條溝の満鉄爆破計画事件

柳條溝の満鉄爆破計画事件は満州事変の発端となった事件です。張学良が率いていた奉天軍が蒋介石軍になったため、爆破を企てたのは支那軍(蒋介石軍)になります。ですが実質は奉天軍(満州軍)ですので、日本にとっては実質的に「味方」…
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満州事変の真相3ー満州国独立軍事クーデター

満州事変とは、「北伐完了」以降、南部の蒋介石政府統治下に置かれた、旧支配層であった満州民族を中心とする北部が、蒋介石政府からの分離独立を図って決起した軍事クーデーターでした。当然、決起したのは、満州系の人々です。満洲国の…
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満州事変の真相2ー張学良の策略

1931年9月の満州事変の成功、半年後の満州国の独立建国、これらが達成出来た最大の理由は、張学良の巧妙な戦略にあったといえます。一般的認識では、張学良には、張作霖のお陰で中国北部東北部の大総統の地位に就いた「無能なお坊ち…
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満州事変の真相1ー満州独立の理由

1925年の孫文の死後、孫文の意志を継いで「北伐完了」を果たし、一旦は中国に南北統一政府が実現したものの、蒋介石は、独裁断行に加え、反日排日政策を強行し中国北部は不況に陥り、更には、ロシア(旧ソビエト)との対立構造から共…
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