張学良西安事件7-張学良の裏切り

張学良西安事件7-張学良の裏切り

西安事件では死傷者も出ており、蒋介石と張学良が、共産党との停戦のために「一芝居打った」とは考え難いです。しかしながら、結果的に、敵対する共産党との「停戦」に至り、既に「財政破綻」していた蒋介石にとっては「望むべく展開」にはなったと言えます。また、張学良は、一見、蒋介石にとっては「有利」な展開に見せながら、最終的には「蒋介石の中国追放」に向け、日本と満州帝国が、その半年後に起こす「中国全域の奪回」軍事クーデターと日中戦争(=日本蒋介石戦争)で、中国共産党と日本との軍事衝突を最小限に抑えるため、「水面下での協力体制」を生み出したといえます。

張学良が、どうしてここまで蒋介石を騙せたのか不思議な点は残りますが、蒋介石の独裁的な人間性を考えれば、過去がどうであれ、利害さえ一致すれば、協力体制が築けると考える人物だったのかも知れません。歴史は、結局は、人の「感情」が生み出すものですが、それを知らない人物だったのかも知れません。

西安事件以降、張学良は、政治の表舞台からは姿を消します。「歴史写真」にも記事が報道されることはありませんでした。その後は、蒋介石により「行動の自由を奪われ、監禁状態」であったようです。処分は恩赦で無くなりましたので、軟禁されたのとは実際は異なったのでは無いでしょうか?

日中戦争(=日本蒋介石戦争)では、南京攻略以降、蒋介石は、日本軍からは逃亡に次ぐ逃亡を繰返しますが、常に張学良を同行させていたと言われています。張学良は、直接、蒋介石の側に居て、最後まで「蒋介石の自滅」を誘導していたかも知れません。一方、蒋介石にとっては、張学良の存在は「人質」として利用価値があったといえます。

日中戦争(=日本ー蒋介石戦争)では、蒋介石政府軍であった「軍閥」の殆どが、蒋介石を見捨てたも同然となりました。張学良が長年画策していたと思われる通り、政府内で内部分裂したといえます。これが、日本軍が、殆ど戦闘をせず、各地の都市を、ほぼ「無血開城」同然に占領し、圧勝出来た理由です。

蒋介石が、どのタイミングで、張学良の裏切りに気が付いたかは不明ですし、裏切りに気が付いていたかも不明です。しかしながら、張学良が蒋介石と常に同行していたことで、日本軍が蒋介石を逃がす結果になったと言えるのではないでしょうか? 張学良と一緒にいれば、満州軍も日本軍も、張学良を守る為、蒋介石への直接的な爆撃も出来なかったでしょう。張学良を一緒に葬る訳にはいかなかった。蒋介石もこれを知っており、「人質」として常に連行し続けたのでは無いでしょうか?

 

何も語らなかった張学良

張学良は、西安事件以降、徒刑の処分は特赦で免れたものの、政治の表舞台からは姿を消します。半年後の北支事変でも第二次上海事変でも、蒋介石側で指揮を取ったのは張学良ではありません。ただ、この時期までに、張学良が自分の配下(旧北京政府の軍人)を、主要な都市の防衛に配置していたことは事実です。表舞台からは姿を消しても、その後も、蒋介石政府軍へ大きな影響力を維持していたと考えます。

張学良は、西安事件についても、その他についても、過去の戦争のことは一切語らなかったと言われます。満州国皇帝の愛新覚羅溥儀と同様、日本が中国を侵略し、満州国は日本の傀儡国家だったという「シナリオ」に従わなければ、当時の状況であれば、満州国(満州民族)が、日本と同様に戦争責任を問われることになります。

張学良が、祖国を裏切り、父親の仇とも呼べる蒋介石に寝返った本当の理由は、自分の母国である満州国が、再度、中国統一を果たすという「大義」の下、蒋介石政府の内部分裂させるためだったと思いますし、その通りに、張学良は必要なことをやっていました。戦後、こうした事実は、確かに、張学良としては一切語れなかったと思います。

蒋介石の「人質」状態は、戦後、蒋介石が台湾へ逃亡し、独裁政権を樹立して以降も続きました。本当の事、例えば、南京大虐殺の写真は蒋介石が作ったことを口外すれば、張学良はいつでも暗殺される状況だったといえます。張学良は、蒋介石の言い成りに成らざるを得なかったでしょう。

晩年、蒋介石の死後、中国共産党から、西安事件での功績を湛えれられ本土への帰還を許されたようですが、西安事件を起こした本当の理由としては、中国共産党を救うためではなく、「防波堤」として利用するためだったとすれば、本土への帰還に応じられなかったでしょう。蒋介石の監禁から完全釈放後は、ハワイで生涯を終えたようです。

 

「日中戦争の真相」の製作者としては、この西安事件の際に、もし張学良が、蒋介石を暗殺していたら、その後はどうなっていたかを考えます。日本に原爆が落ちることは無かったかも知れません。しかし、良くも悪くも求心力だった蒋介石を失えば、中国は再び、軍閥同士が対立し、「中原大戦」の再演となったでしょう。ソビエト(ロシア)は、この機とばかりに中国共産党を支援し、イギリスは対外軍事借款を理由に南部政府を操るか、領土分割を迫るかの事態となり、中国本土で、イギリス対ソビエト(ロシア)の戦争勃発も考えられました。

この時点で、蒋介石を暗殺出来なかったのは、ある意味、仕方無かったと言えますが、ここで蒋介石が歴史の舞台から消えていれば、その後、中国と日本、特に日本が被った大きな犠牲は回避出来たかも知れません。