中原大戦の真相

中原大戦の真相

中原大戦とは、中国の民主革命時代における「2度目の南北政府戦争」のことです。一般的な歴史では、「中国の南北戦争」は、蒋介石による「北伐」=「支那動乱」という名称で知られていますが、これが中国での南北戦争であったという認識は余りないようです。 しかしながら、辛亥革命が、そもそも中国での異民族間の南北対立が原因で勃発したことであり、それ以降は、中国共産党が蒋介石を国外追放し、中華人民共和国を建国するまで続いていました。

当然、この南北対立による戦争は一度では終わらず、その後は「中原大戦」=「第2次の支那動乱」が勃発していきます。「北伐」により一度は南北政府が統合したものの、蒋介石政府の執政の酷さ(独裁と不況)により、蒋介石の政府で内部対立が生じ、これが「中原=中支那=中国中央部」での戦争に発展しました。

蒋介石と分裂し軍事衝突(戦争)したのは、元北京政府の要人であった閻錫山と馮玉祥でした。この二人は、蒋介石の「北伐」では、蒋介石側に付いて、北部政府と戦っていた人物です。また、この中原大戦を終焉させたのは、張学良でした。張学良が、実際には、非常に大きな影響力のある人物だったことが伺えます。


中原大戦の真相 一覧


 

中原大戦の真相1ー第2次支那動乱

1928年6月の張作霖列車爆殺事件、直後の北京無血開城、その後、1929年1月の易幟(政府旗の変更)を経て、中国は南部の蒋介石政府が主導する形で、一旦は南北政府統一を果たします。しかしながら、「易幟の真相」で述べた通り、… 続きを読む ...

中原大戦の真相2ー蒋介石と閻錫山

1929年(昭和4年)は、1月の易幟、3月の蒋桂戦争、6月の馮玉祥の政権離脱(排斥)と蒋介石による政敵排除が進みました。しかし、9月下旬には、今度は、蒋介石を政権から排斥する動きが出て来ます。この反蒋介石派を主導していた… 続きを読む ...

中原大戦の真相3-四面楚歌の蒋介石

昭和5年7月(1930年7月)発行「歴史写真」から 昭和5年5月(1930年5月)四面楚歌の声の蒋介石 記事: 中華民國々民軍代表蒋介石氏の主義施政に反對する同國一方の重鎮 馮玉祥閣 錫山の兩氏は四方に同志の諸將 を糾合… 続きを読む ...

中原大戦の真相4-張学良による停戦

1928年6月の張作霖列車爆殺事件、直後の北京無血開城、1929年1月の易幟(政府旗の変更)、その後の蒋介石の独裁化を受け、1930年には遂に、中国は再び南北に分かれて軍事対立する事態に陥ります。1930年9月に、北部側… 続きを読む ...

Tags: