中原大戦の真相
中原大戦とは、中国の民主革命時代における「2度目の南北政府戦争」のことです。一般的な歴史では、「中国の南北戦争」は、蒋介石による「北伐」=「支那動乱」という名称で知られていますが、これが中国での南北戦争であったという認識は余りないようです。 しかしながら、辛亥革命が、そもそも中国での異民族間の南北対立が原因で勃発したことであり、それ以降は、中国共産党が蒋介石を国外追放し、中華人民共和国を建国するまで続いていました。
当然、この南北対立による戦争は一度では終わらず、その後は「中原大戦」=「第2次の支那動乱」が勃発していきます。「北伐」により一度は南北政府が統合したものの、蒋介石政府の執政の酷さ(独裁と不況)により、蒋介石の政府で内部対立が生じ、これが「中原=中支那=中国中央部」での戦争に発展しました。
蒋介石と分裂し軍事衝突(戦争)したのは、元北京政府の要人であった閻錫山と馮玉祥でした。この二人は、蒋介石の「北伐」では、蒋介石側に付いて、北部政府と戦っていた人物です。また、この中原大戦を終焉させたのは、張学良でした。張学良が、実際には、非常に大きな影響力のある人物だったことが伺えます。
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