タグ: 北支方面

The Truth of Japan-China War

日本軍の圧勝の真相9ー北支ー青島の占領

南京陥落の翌月、昭和13年(1938年)1月、北部方面では青島(チンタオ)を奪回しました。青島は、以下の地図(Wikipedia 青島より)を見れば、中国から日本への船上貿易の重要拠点であったことはご理解頂けるでしょう。…
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日本軍の圧勝の真相8-済南の陥落

昭和12年(1937年)12月14日は、北京で「中華民国」の新しい政府(国民政府)が誕生します。前日の13日は、日本軍が、南京の陥落と占領を完了しました。これは、北部政府が、ようやく、南部政府の蒋介石から「中華民国」の奪…
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日本軍の圧勝の真相7-太原の陥落

昭和12年(1937年)9月に、北京から、保定、石家庄へ進軍し、そこから、西方の太原を目指して進軍を続けました。昭和12年(1937年)11月には、蒋介石政府軍の主要軍閥の一つを率いていた閣錫山の本拠地である太原を陥落し…
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日本軍の圧勝の真相6-正定の陥落

昭和13年12月(1938年12月)発行 「歴史写真」 から 昭和13年10月(1938年10月) 一 太原目指して獅子奮迅の我部隊(其他) 記事: (右上)支那にその人あ りと知られたる閻錫山の本據として、人口四十萬、…
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日本軍の圧勝の真相5-石家庄の陥落

昭和12年(1937年)10月は、保定より更に南下し、石家庄(石家荘)を占拠しました。この辺りも、馮玉祥の軍事管轄でしたので、楽々、入城だったはずです。 また、河北(華北)5省を平定し、蒋介石政府からの分離独立を達成しま…
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日本軍の圧勝の真相4ー滄州の陥落

昭和12年(1937年)8月8日に、無血開城にて北京を陥落した後、北西方向、南西方向、東南方向へ別れ、黄河の北部一帯の主要都市を占領下に置き、蒋介石政府軍の追出し作戦を展開して行きました。 昭和12年11月(1937年1…
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日本軍の圧勝の真相1ー北京-綏遠ルートの進軍

北支(北支那)は、昭和12年(1937年)8月8日に北京を無血開城した後、北京の北西方面から太行山脈の間を抜けて内蒙古側の綏遠へ抜けるルートへ進軍して行きます。日中戦争では、日本軍は極めて劣勢であり、本来であれば、絶対に…
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