第2次上海事変の真相
第2次上海事変は、1937年8月13日に蒋介石政府軍による「日本租界」への不法発砲事件を発端と言われていますが、軍事紛争に発展した理由は、翌日8月14日に2度に渡る上海市街地の無差別爆撃、更には、同日、日本軍の艦船に空爆を行ったことにあります。これに、日本軍が応戦し、蒋介石政府の打倒を目指し、上海上陸を決行するに至りました。その後は、蒋介石政府軍との間で約3カ月(100日)に及ぶ「軍事紛争」が継続し、日本軍が圧勝し、上海全域を占領するに至りました。
第2次上海事変の真相は、北支事変と同様に、蒋介石の統一政府(中華民国)から、中国全土が分離独立を図った軍事クーデターです「満州事変の」際に、南部で「第1次上海事変」が起きたのと非常によく似た展開であり、「北支事変」に呼応して「第2次上海事変」が起きています。
8月8日に、北支那では、日本軍は北京に入城しりました。蒋介石の「統一中国」を掲げる南部政府からすれば、北部の最重要都市である北京を日本軍に奪われたのです。その報復行為として、この大山中尉の暗殺があり、日本租界への不法発砲、日本艦隊への空爆と続きました。報復であると同時に、「北支事変」が北支那全域に拡大するのを阻止する為、日本軍の戦力を南部へ分散する目的があったとも言えます。
日本の敗戦後、「全て日本の責任」になるよう歴史のシナリオが作られたため、第2次上海事変での蒋介石軍の無差別空爆についても、日本艦隊への空襲も、それが日中戦争の主な原因という認識にはなっていません。日中戦争ではなく、日本+中国旧北京市府派と、イギリス+蒋介石政府との、日蒋戦争(日本-蒋介石戦争)であったことも殆ど知られていません。しかし、歴史で実際に起きた事実を正しく見れば、日本と蒋介石政府間での戦争(日中戦争)の発端は、蒋介石政府が宣戦布告もせず日本人を含め上海の一般市民に奇襲に及んだ事であったと考える方が正しいのではないでしょうか。
第2次上海事変の真相 一覧
第二次上海事変の真相1ー大山大尉惨殺事件
第二次上海事変の真相2ー日本租界への支那軍の不法発砲
第二次上海事変の真相3ー蒋介石軍の無差別空爆
第二次上海事変の真相4ー日本軍による反撃空爆
第二次上海事変の真相5ー日本軍の上海上陸
第二次上海事変の真相6ー上海での市街戦
第二次上海事変の真相7ー上海戦線:上海周辺の攻略
第二次上海事変の真相8ー上海戦線:アメリカ軍の上陸
第二次上海事変の真相9ー上海の陥落