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The Truth of Japan-China War

新支那中央政府樹立の真相4-新支那中央政府の樹立 1

昭和15年(1940年)1月23日からの青島会談にて、新支那中央政府の大綱が決定し、その2カ月の昭和15年(1940年)3月30日、遂に、新支那中央政府が樹立します。昭和15年5月(1940年5月)発行 「歴史写真」 で…
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新支那中央政府樹立の真相3-青島会談

昭和14年(1939年)9月19日の新支那3巨頭の歴史的会見から4か月後、昭和15年1月、北京(満州民族系)、南京(漢民族系)の政府代表に加え、その他の内蒙古、ウイグル(蒙彊)の政府代表を加えた重要会談が青島で開催されま…
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新支那中央政府樹立の真相2-新支那3巨頭の歴史的会見

昭和14年9月19日 南京にて、新支那中央政府構想の中心人物である汪兆銘、北京の「中華民国」臨時政府代表の王克敏、南京維新政府の代表である梁鴻志による、新支那3巨頭の会見が行われました。 昭和14年11月(1939年11…
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新支那中央政府樹立の真相1-汪兆銘のラジオ演説

昭和14年(1939年)7月の日英会談(有田・クレーギー会談)後、日本政府と、奪回後の「中華民国」新政府は、中央の漢民族、東北部の満州民族、北部の内蒙古民族、西北部のウイグル民族、西部のチベット民族の、中国5大民族を結合…
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日英会談の真相1-イギリスの中国撤退の協定

昭和14年9月(1939年9月)発行の「歴史写真」では、「歴史的日英会談」として、1939年7月の「有田・クレーギー会談」の特集が組まれています。これは日本とイギリス間での「歴史的な」と題されるほどの重要な国際会談でした…
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日英会談の真相2-日本の反イギリス、反蒋介石デモ

1939年7月に東京で開かれた「日英会談」では、日本全国で、反蒋介石、反イギリスの大規模なデモや集会が開かれました。現在の日本人は、日中戦争時代、日本が誰と戦っていたのかさえ正しく理解出来ていませんが、日本は直接的には蒋…
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南京北京新政府樹立の真相3-蒙古連盟自治政府の成立

昭和12年(1937年)12月13日に、南京陥落の翌日、2月14日には、南京自治政府が成立、北京では「中華民国」の北支臨時政府の成立し、また、ほぼ同時に、蒙古連盟自治政府も成立しました。   内蒙古の新政府成立…
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南京北京新政府樹立の真相2-北支臨時政府の成立

昭和12年(1937年)12月13日の南京陥落の翌日、12月14日には、南京自治政府が成立し、同日12月14日、北京では「中華民国」の臨時政府の成立しました。昭和3年(1928年)12月の「易幟」により旧北京政府が解体さ…
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南京北京新政府樹立の真相1-南京自治政府の成立

昭和12年(1937年)12月13日に、南京の中山門の突破と同時に南京は陥落し、翌日の12月14日には、南京市の有力者により、南京自治政府が成立し、同日12月14日、北京では「中華民国」の臨時政府の成立しました。蒋介石政…
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南京攻略の真相10-日本兵の写真

東京裁判では、日本に対する「訴因28-中国侵略(Invasion of China)の嫌疑」は取り下げになりました。当時、アメリカ、イギリス、フランスなど連合国は、日本が中国を侵略していない事を認めていました。それにも関…
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