南京攻略の真相
南京攻略(Nanjing Capture)は、南京戦とも呼ばれ、日中戦争(Japan-China War)で日本軍が「中華民国」の首都であった南京を占領した戦いです。日中戦争(Japan-China War)は、表向きは、日本軍と蒋介石政府軍の戦いでした。しかし、本質的には、北部の中国人勢力が、蒋介石から「中華民国」を奪回するための戦いだったのです。
蒋介石政府の軍隊は、蒋介石の直属軍以外は、旧北京政府の軍閥など、全て、かつて、蒋介石と敵対し、戦争を行った軍閥で構成されていました。蒋介石の「中華民国」は、張学良が、蒋介石の敵対勢力を、政府内、軍部内に取り込んで成立させたと言えるでしょう。張学良は、内部崩壊工作の為に、祖国を裏切って、蒋介石政府に寝返ったのでした。
北支事変、第二次上海事変では、これまで蒋介石の傘下にいた「敵対勢力」が、蒋介石に一斉に反旗を翻しました。それが、ごく少数兵力の日本軍が、時に15倍近い蒋介石政府軍に圧勝した理由でした。要は、日本軍は、自分達の味方と戦っていたということです。また、それが、南京攻略で、日本軍がたった4日間で南京を攻略出来た理由でした。
日中戦争(Japan-China War)では、蒋介石政府と外国である日本軍が戦争し、日本軍が圧勝し、蒋介石政府を完全に潰す計画でした。蒋介石にはイギリスなど列強が軍事支援していました。しかし、日本軍が蒋介石政府を完全潰滅すれば、イギリスは「手下」を完全に失います。蒋介石の中国での再興を完全阻止出来ます。蒋介石が「中華民国」を再び奪うには、まず、日本と戦争し、勝利する必要があるからです。それが、上海を完全占領した直後に、日本軍が、蒋介石の首都である南京を占領した理由です。日本軍は、蒋介石を捕獲し、処刑を狙っていたと言えるでしょう。
一方、蒋介石は、11月16日頃、日本軍が南京に到着する約3週間前に、「中華民国」の首都南京を放棄して逃亡しました。日本軍は南京攻略(Nanjing Capture)を12月10日から開始しましたが、南京では総大将が不在でした。南京の占領の4日間は、壁を壊す程度の攻撃であり、入城直後に完全占領が完了しました。
南京攻略と南京大虐殺
2017年6月から2年間、私は「南京大虐殺の真相」ブログを公開し、南京大虐殺は歴史的な見地から起り得ないことを説明していました。それまでは、一般的な認識として「南京攻略(Nanjing Capture)では日本軍は非常な苦戦を強いられた。食料も物資も極端に不足した。日本軍は南京は陥落出来なかった。そのため、日本兵が逃亡し、周辺村民を襲った。」とされていました。ここから、南京大虐殺を日本軍が行ったという「世界的なデマ」が広まったといえるでしょう。
しかし、上記は全て「大嘘」です。南京攻略(Nanjing Capture)では、食料や物資は十分に供給されていました。日本軍は圧勝しており、逃亡兵が出る理由などありませんでした。逃亡兵は、全て、蒋介石政府の正規軍だった兵士でした。
中国では、蒋介石の正規軍による、中国人市民や日本人居留民への虐殺行為、強姦、略奪などが頻繁に起きていました。多くの犠牲者が出ていました。第二次上海事変でも、蒋介石軍は、上海で、欧米諸国も含めて一般市民への無差別爆撃を強行しました。蒋介石軍に先に奇襲攻撃を受けた日本軍は、上海での軍事衝突の早期鎮圧のため、大規模な軍隊を中国へ派遣すると共に、全ての元凶である蒋介石を捕え、その政府を解体すべく、首都の南京を攻略するに至ったのです。
日本軍の中国侵略(Invasion)の嫌疑は取り下げ=日本は無実
日本が敗戦した後に開かれた東京裁判では、満州事変以降の日本による中国侵略(Invasion)の嫌疑は「取り下げ」となりました。連合国(戦勝国)側は、中国での日本の戦争が「侵略(Invasion)では無かった」と認めたのです。嫌疑として「取り下げ」ですので、当然、「日本は無実」です。
一方、「日本が中国を侵略(Invasion)した」としてアメリカを日中戦争(Japan-China War)に巻き込んだ蒋介石は、侵略(Invasion)嫌疑の取下げを不服として、南京攻略の際に、日本軍が南京市民の大虐殺を行ったと「冤罪」を捏造しました。冤罪を事実化するために、一方的に日本兵を「中華民国」の首都南京へ連行しました。こうした蒋介石の策略により、戦後、日本と、南京事件には全く無関係の「中華人民共和国(中国共産党)」の間で、どちらの責任かを含め、真偽の議論が延々と続く事態が生じました。
ここでは、南京大虐殺が起きたとされる「南京攻略(Nanjing Capture)」の真相を検証します。「南京攻略(Nanjing Capture)」の真相を知れば、南京大虐殺は歴史上起り得ないことはご理解頂けると思います。
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