カテゴリー: 21新支那中央政府樹立の真相

The Truth of Japan-China War

新支那中央政府樹立の真相9-日本の慶祝国民大会

新支那中央政府樹立の慶祝には、東京の日比谷公園で行われ、公園を埋め尽くす程に人々が集まりました。日本人も、当時、我らが友である中国人の方々の新たな門出を祝ったのです。 新支那中央政府の樹立については、中国だけでは無く、日…
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新支那中央政府樹立の真相8-汪兆銘の各地訪問

汪兆銘は新支那中央政府の樹立後、北部の張家口、北京、南部の広東、蒋介石が政府を移したといわれる漢口、武漢などを訪問しています。一般的な歴史理解では、汪兆銘の政府は、日本の傀儡政府であったため、中国の民衆の支持を得られなか…
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新支那中央政府樹立の真相7-新支那中央政府の南京還都慶祝典1

1940年3月30日の汪兆銘氏の南京還都宣言に続き、1940年4月26日、新支那中央政府の樹立と南京還都を祝して、日中での盛大な慶祝典が開催されました。日本側からは、新支那中央政府の樹立に尽力した阿部大使が日本代表として…
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新支那中央政府樹立の真相6-汪兆銘の南京還都宣言

昭和15年(1940年)3月20日、新支那中央政府が遂に樹立しましたが、旧北京政府にとっては、屈辱ともいえる「易幟」からは12年。孫文の死により「南北の平和的政府統一」が頓挫してからは15年の歳月が流れていました。 19…
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新支那中央政府樹立の真相5-新支那中央政府の樹立 2

1928年6月「北伐」により、蒋介石に「中華民国」を奪われてから10年近い年月を経て、現在、日中戦争と呼ばれる「反蒋介石戦争」を経て、昭和12年(1937年)12月、北京政府はようやく「中華民国」を奪回しました。そして、…
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新支那中央政府樹立の真相4-新支那中央政府の樹立 1

昭和15年(1940年)1月23日からの青島会談にて、新支那中央政府の大綱が決定し、その2カ月の昭和15年(1940年)3月30日、遂に、新支那中央政府が樹立します。昭和15年5月(1940年5月)発行 「歴史写真」 で…
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新支那中央政府樹立の真相3-青島会談

昭和14年(1939年)9月19日の新支那3巨頭の歴史的会見から4か月後、昭和15年1月、北京(満州民族系)、南京(漢民族系)の政府代表に加え、その他の内蒙古、ウイグル(蒙彊)の政府代表を加えた重要会談が青島で開催されま…
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新支那中央政府樹立の真相2-新支那3巨頭の歴史的会見

昭和14年9月19日 南京にて、新支那中央政府構想の中心人物である汪兆銘、北京の「中華民国」臨時政府代表の王克敏、南京維新政府の代表である梁鴻志による、新支那3巨頭の会見が行われました。 昭和14年11月(1939年11…
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新支那中央政府樹立の真相1-汪兆銘のラジオ演説

昭和14年(1939年)7月の日英会談(有田・クレーギー会談)後、日本政府と、奪回後の「中華民国」新政府は、中央の漢民族、東北部の満州民族、北部の内蒙古民族、西北部のウイグル民族、西部のチベット民族の、中国5大民族を結合…
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