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The Truth of Japan-China War

満洲国建国の真相1-満州平定と満州国成立

満州事変は、1931年9月の南満州鉄道の路線爆破未遂事件から始まり、1932年3月の満州国の建国で収束に至りました。これにより、蒋介石政府の「中華民国」から、中国東北部の満州地域とそれに隣接する内蒙古族(モンゴル族)の東…
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第1次上海事変5―上海事変と張学良

張学良という人物は、後の西安事件も含め、行動が意味不明だと言われているようです。張学良の父親である張作霖は、一般的な世界史では、日本軍が暗殺したことになっていますが、このサイトで説明の通り、暗殺したのは蒋介石です。目的は…
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第1次上海事変4―上海事変と停戦協定

第一次上海事変は、満州国の独立宣言の約20日前に始まり、満州国の建国の2日後、3月3日に「日本軍が停戦」し終焉しています。その後は、イギリス、フランス、アメリカ、イタリアなど上海に居留区を持つ欧米の列強国が仲介し、日本と…
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第1次上海事変3―上海事変と満州事変

満州事変は、満州国の分離独立の軍事クーデターでしたが、第一次上海事変は、満州事変の最終段階として起きた中国南部海岸地域での「軍事紛争」でした。当時の蒋介石政府の軍事力を鑑みれば、独立と同時に、北部への軍事侵攻が開始されて…
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第1次上海事変2―上海事変の勃発

第1次上海事変は、満州国の独立建国の約1か月前の昭和7年1月27日か始まり、同年3月1日付満州国独立後、3月3日に日本軍が蒋介石政府軍を退け、そこから停戦に向け交渉が開始されました。 蒋介石軍は、日本軍と比べ、上海地域だ…
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第1次上海事変の真相1―蒋介石の日本在留民弾圧

現在の歴史理解では、一般的に、第1次上海事変とは、「1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて戦われた中華民国の上海共同租界周辺で起きた日中両軍の衝突となっています。この第1次上海事変も、「日本軍が襲撃」したこ…
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満州事変の真相6ー大凌河鉄橋警備

日本軍が奉天を占領し、蒋介石軍(東北軍)を追い出し、奉天の治安維持が順調に回復したのを見届けてから、張学良は自ら奉天を退城し、少し南の錦州という都市へ軍事拠点の移動を行っています。地理的に見ると、北京のある中国北部と、奉…
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満州事変の真相5ー張学良の長期闘病

満州事変は、中国東北部(満州地域)を蒋介石政府(中華民国)から完全分離し、国家としての独立を目指した軍事クーデターです。蒋介石の統一政府から満州東北部を分離をするためには、何よりも先ず、蒋介石軍を満州東北部より全面撤退さ…
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満州事変の真相4ー柳條溝の満鉄爆破計画事件

柳條溝の満鉄爆破計画事件は満州事変の発端となった事件です。張学良が率いていた奉天軍が蒋介石軍になったため、爆破を企てたのは支那軍(蒋介石軍)になります。ですが実質は奉天軍(満州軍)ですので、日本にとっては実質的に「味方」…
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満州事変の真相3ー満州国独立軍事クーデター

満州事変とは、「北伐完了」以降、南部の蒋介石政府統治下に置かれた、旧支配層であった満州民族を中心とする北部が、蒋介石政府からの分離独立を図って決起した軍事クーデーターでした。当然、決起したのは、満州系の人々です。満洲国の…
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