カテゴリー: 03北伐の真相

The Truth of Japan-China War

北伐の真相5ー済南事件

済南事件とは、蒋介石の「北伐」侵攻により、南部の蒋介石軍が1928年済南という街に到達した際、一部の兵士が、商業埠頭に居住する日本人の店舗を襲い掠奪行為に及び、更には、日本人十数名を虐殺した事件です。当時、中国に対し多額…
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北伐の真相4ー蒋介石軍の南支攻略

1926年7月(昭和元年(大正15年))の蒋介石による「北伐宣言」から始まった「支那動乱」=「中国南北戦争」は、最終的には、1928年6月、蒋介石率いる南政府軍(南軍)の勝利で終わります。蒋介石の政権基盤は、中国南部の大…
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北伐の真相3ー清浦子爵の天津訪問

1925年3月の孫文の死後、蒋介石は、孫文の側近であった人物を次々を失脚させ、時には暗殺し、翌年の1926年3月には、汪兆銘の失脚に成功します。こうして、蒋介石は、孫文の政治軍事基盤を一手に掌握するに至ります。蒋介石の政…
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北伐の真相2-蒋介石の北伐

1925年3月に孫文の死後、蒋介石は「中国南北政府の統一」を目指し「北伐」という軍事侵攻を行っています。一般的な歴史では、「北伐」は孫文が生前に、2度、計画をしたことになっています。これは孫文が明治維新を評価していたこと…
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北伐の真相1ー第一次支那動乱

支那動乱とは、蒋介石の「北伐宣言」に伴って起きた中国での南北政府間での「南北内乱戦争」のことを言います。1926年7月の蒋介石の「北伐宣言」から始まった北伐は、中国を2分する大きな内乱戦争に発展しました。単なる「北伐」で…
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