張作霖爆殺事件の真相
張作霖爆殺事件とは、日本の関東軍が奉天軍閥の指導者張作霖を暗殺した事件(Wikipediaより)」となっています。しかし、これは日本軍の仕業ではありません。1928年(昭和3年、民国17年)6月4日、中国東北部の満州奉天(現瀋陽市)近郊で、張作霖の乗った列車が爆破され、張作霖が暗殺されたのは事実です。しかし、一般的な歴史認識である、「日本軍(関東軍)は、この事件を国民革命軍の仕業に見せかけ、それを口実に南満洲に進行し占領しようとしていた。」というのは有得ないですし、間違いであると結論します。
張作霖という人物は、清帝国滅亡後に発足した北京政府(満州民族系政府)で、総帥の地位にいた人物です。中国の奉天出身(満州族出身)です。奉天とは北朝鮮の北西側に接する奉天省(現在の遼寧省)にあります。総帥ですので、言い換えれば、「北伐」当時の北部政府軍の総大将です。張作霖を暗殺してメリットがあるのは、当然、「北伐」で敵対していた南部政府軍の総大将である蒋介石以外に有得ません。
当時、張作霖は、逃げたのではなく、周囲に説得されて、北京での激しい市街戦を回避するため、敢えて自ら撤退を決め「北京の無血開城」に至ったのが実際です。しかし、その直後に、張作霖は列車爆発により暗殺されます。これは北部政府軍にとっては、突然、総大将を失ったと同然となり「大打撃」です。結果、「北伐」は、蒋介石にとって、圧倒的有利な状況での勝利となり、中国は南部の蒋介石政府が政治主導する形で南北統一を果たすことになりました。