第1次上海事変の真相

第1次上海事変の真相

現在の歴史理解では、一般的に、第1次上海事変とは、「1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて戦われた中華民国の上海共同租界周辺で起きた日中両軍の衝突である。(Wikipedia より)となっています。この第1次上海事変も、日本軍が襲撃したことになっているようです。しかし、これは事実ではありません。

第1次上海事変の起きた時期は、中国での南北民族戦争が中盤に差掛った時代です。蒋介石の「北伐」によって、南部漢民族が主導する政府下のもと、一旦は「統一中国」が達成されました。しかし、その後、今度は北部満州民族が「統一中国」から分離独立を図ります。1931年9月に起きた満州事変は、民主独立軍事グーデターでした。第1次上海事変は翌年1932年の1月28日です。その2カ月後、1932年3月1日、満州国は建国します。第1次上海事変もまた、満州民族の民主独立軍事グーデターの重要な戦略でした。

 


第一次上海事変の真相 一覧


第1次上海事変4―上海事変と停戦協定

第一次上海事変は、満州国の独立宣言の約20日前に始まり、満州国の建国の2日後、3月3日に「日本軍が停戦」し終焉しています。その後は、イギリス、フランス、アメリカ、イタリアなど上海に居留区を持つ欧米の列強国が仲介し、日本と… 続きを読む ...

第1次上海事変の真相1―蒋介石の日本在留民弾圧

現在の歴史理解では、一般的に、第1次上海事変とは、「1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて戦われた中華民国の上海共同租界周辺で起きた日中両軍の衝突となっています。この第1次上海事変も、「日本軍が襲撃」したこ… 続きを読む ...

第1次上海事変2―上海事変の勃発

第1次上海事変は、満州国の独立建国の約1か月前の昭和7年1月27日か始まり、同年3月1日付満州国独立後、3月3日に日本軍が蒋介石政府軍を退け、そこから停戦に向け交渉が開始されました。 蒋介石軍は、日本軍と比べ、上海地域だ… 続きを読む ...

第1次上海事変3―上海事変と満州事変

満州事変は、満州国の分離独立の軍事クーデターでしたが、第一次上海事変は、満州事変の最終段階として起きた中国南部海岸地域での「軍事紛争」でした。当時の蒋介石政府の軍事力を鑑みれば、独立と同時に、北部への軍事侵攻が開始されて… 続きを読む ...

第1次上海事変5―上海事変と張学良

張学良という人物は、後の西安事件も含め、行動が意味不明だと言われているようです。張学良の父親である張作霖は、一般的な世界史では、日本軍が暗殺したことになっていますが、このサイトで説明の通り、暗殺したのは蒋介石です。目的は… 続きを読む ...

 

 

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