内蒙古独立の真相8- 蒙古大帝国の建国
「歴史写真」の記事では、1937年11月の記事として「蒙古大帝国建設の喜びにひたる徳王と我が〇〇部隊長との交驩」とあり、以下の写真が掲載されています。交驩(こうかん)とは、余り交際が無い人々が、お互いに打ち解け、親しく交わることをいいます。
昭和13年1月(1938年1月)発行「歴史写真」から
昭和12年11月(1937年11月) 蒙古大帝国建設の喜びに浸る徳王
記事:
去る七月、皇軍(日本軍)が北京天津を鎮定すると共に、 支那軍は直ちに我に對し和平締結の一途に出 づべきところ、暴慢不戻、自らの力を揣らず、却て盛に挑日侮日の氣を揚げて内蒙古河北に綴々大軍を集結したる為め、我方は、 断然是を膺懲する決意 を闘め、一部は京綏線に沿ひて北上し、一方 關東軍は満洲より内蒙張家口に進出し、又他の一 部は京漢線に沿ひて南下し、 更に他の一隊は、津浦線に沿ひて南進、皇軍の向と ころ眞に鎧袖一觸も営ならず、張家口、綏遠、大同、 太原、保定、平定、滄州等 の各重要都市相次いで我軍の占撮するところとなり、 轉戦(転戦)僅かに三ヶ月餘にして内蒙河北今や全く敵影を見ざるに至った。
写真:
寫真の(右)は蒙古大帝國建設の喜びにひれる德王と我が〇〇部隊長との交麗。
(左上)山西戦線奮關城門上に還薬された支那軍の儀式砲。
(左中)正太線井陘城頭の萬歳。
(左下)京漢線〇〇城頭の我が對空機關銃隊。
写真拡大 ー 日本軍の隊長と握手する徳王
日本人も蒙古斑がある民族ですので、同じDNAを引く民族ともいえます。現在も相撲など蒙古人とは仲良しですが、当時も仲良くやっていたようです。西洋では、戦争となると、破壊、破壊の連続ですが、東洋では「孫氏兵法」があるように、敵の状況や、攻撃のタイミング、共通利害の取り纏めなど、いかに人的被害、建物やインフラなどの物理的被害を最小限に抑え、出来る限り「短期」に、確実に「勝利」する戦略を取ります。
これは、日本の敗戦後、日本が満州や旧北京政府の中国人と展開していた「頭脳戦=戦略」は、西洋文化しか知らない連合国の国々には決して理解出来なかったでしょう。「表と裏」を使い分けることは、物事を穏便に解決するための「戦略」です。被害を最小限に食い止めるためであれば、「卑怯な行為」ではありません。何が目的なのか、なぜ戦うのか、利害がどこにあるのか、正しく把握し、事態を判断した上で、出来る限り「人が死なない」ように国際紛争も解決すべきなのです。「人的被害」が出れば、それが、後々に双方の「怨恨」として残っていきます。その「怨恨」が更なる「紛争」を生み出します。いつまで経っても「戦争が無くならない」理由です。
日中戦争(日本ー蒋介石戦争)は、そうした「人的被害」=「怨恨」を生み出さないような「戦略」に拘った戦だったと思います。
この歴史サイトを通じて、西洋文化の方々に「戦争が如何に無意味」か、戦争するにしても、どう戦うべきなのか、知って頂ければと思います。国家間の紛争に、戦争(破壊と殺人)という方法が、次の世代に戦争(破壊と殺人)を生み出していくということです。
写真拡大 -日本軍の圧勝
「僅かに三ヶ月餘にして内蒙河北今や全く敵影を見ざるに至った」など、本来であれば、有得ないことです。
中国で、中国人と日本人が戦争すれば、兵器では日本が優勢だったとしても、兵力では絶対的に勝てないです。現在は、核兵器などの大量破壊兵器がありますし、ミサイルでも大量破壊、大量殺人は可能です。ですが、兵器レベルが同等であれば、やはり兵士数が圧倒的に多い軍隊に勝利することは不可能です。ですから、初めから戦うべきではないのです。
当時の日本も、蒋介石には散々在留邦人への横暴非道を繰返されましたが、日本だけでは当然勝利出来る見込みはありません。北支事変、その後の内蒙古西域への侵攻についても、日本軍が勝っていた時点で、その戦争事態に何がトリックがあると考えるべきでしょう。戦後、日本が日中戦争、太平洋戦争の全責任を負う形で「結論」が出されました。満洲にしろ北支にしろ、独立させるためには、日本が一旦全域を占領する必要がありました。南北での内乱の回避のためです。要は、実際に、日本は占領という「行為」は行いました。この事から、「占領」=「中国侵略」=「中国人の虐殺」という「冤罪」を着せられ、その誤解は戦後75年以上、未だ解けていません。
日本は「占領」はしましたが、しかし、目的は、蒋介石政府からの中国を分離独立させるためです。欧州などが展開していた植民地化とは、根本的に目的が異なりました。中国人の方々、また、隣国の韓国の方々、更には世界中の方々から、「日本が中国を侵略した」と認識されていますが、それは「誤解」です。
そもそも普通に考えれば、日本の小規模な軍隊で、中国の侵略など不可能です。また、植民地化との決定的な違いは、日本は、満州国や中国本土に対して、経済投資はしても、軍事借款はしていません。傀儡政府が成立する理由は、独立を目論む勢力に対して軍事支援として多額の債務を負わせるからです。独立後、国家として返済出来いからこそ、傀儡となり、また、植民地と化すのです。日本の場合は、自分で戦っていますし、満州国も蒙古も天然資源に恵まれた豊かな国でした。
また、日本が占領出来たとしても、満州民族や漢民族など中国人がが本気で独立した場合、日本は軍隊規模が小さ過ぎて勝ちようがありません。日本には、中国侵略など遣り様が無いし、軍事借款関係も無いので、植民地化も出来ませんでした。天然資源の安産供給、自国の植民地化危機の回避、中国という市場の確保など、「表向き」の役目を担うメリットはあったでしょう。
このページの内蒙古の徳王の笑顔を見れば、また、日本軍の隊長の嬉しそうな顔を見れば、日本は「中国侵略はやっていない」との私の主張にもご納得頂けると思います。