北支自治運動の真相
北支=華北=中国の北部地域では、1932年、すぐ隣の満州国が統一中国(蒋介石政府)より分離独立を果たした後、自分達も分離独立を図ろうと動き出します。1935年10月頃、黄河の北部地域である河北省、山西省、山東省、察哈爾省(チャハル省:内蒙古中央東部)、綏遠省(内蒙古中央西部)の5つの省が、蒋介石政府からの自主独立を目指し民衆運動を起こすに至りました。
その解決策として、1935年12月18日、河北省の北京の東北側にある潮白新河(ちょうはくしんかわ)を境に満州国境までの以北を「冀東(きさつ)防共自治政府」として非武装地帯を設置し、更に北京、天津、塘沽を含め、潮白新河(ちょうはくしんかわ)の以南の河北省と、満州国西部で隣接する察哈爾省(チャハル省:内蒙古中央東部)の領域を合わせ、「冀察(きさつ)政務委員会」として緩衝地帯が設けられることになりました。これにより、満州国と、蒋介石の「統一中国」の間に、戦略上、2重の防壁=防衛地帯が設けられたことになりました。
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