満州事変の真相
満州事変とは、中国東北部の満州地域が、蒋介石政府下の「中華民国」から完全分離独立を図るために起こした軍事クーデターです。北京は清帝国(満州族の征服王朝)の首都だった場所であり、蒋介石は、「北伐」に勝利し、かつての支配層であった満州民族を取り込む形で中国統一を果たしたものの、満州民族と漢民族の間での対立構図は解消に至りませんでした。その後も、中原大戦という大規模な南北戦争が起きました。
当時の中国では、1929年に蒋介石の中国の南北政府統一後は、蒋介石による独裁化、反日排日政策の強制から、日本との国際貿易で栄えていた北部東北部では深刻な不況に見舞われました。その後に起きた第2次南北戦争を経て、北部、東北地域などの北方系(満州系)民族を中心に、蒋介石の「統一政府」から国家として独立を目指すようになりました。
満州事変の真相 一覧
満州事変の真相1ー満州独立の理由
1925年の孫文の死後、孫文の意志を継いで「北伐完了」を果たし、一旦は中国に南北統一政府が実現したものの、蒋介石は、独裁断行に加え、反日排日政策を強行し中国北部は不況に陥り、更には、ロシア(旧ソビエト)との対立構造から共… 続きを読む ...
Read More満州事変の真相2ー張学良の策略
1931年9月の満州事変の成功、半年後の満州国の独立建国、これらが達成出来た最大の理由は、張学良の巧妙な戦略にあったといえます。一般的認識では、張学良には、張作霖のお陰で中国北部東北部の大総統の地位に就いた「無能なお坊ち… 続きを読む ...
Read More満州事変の真相3ー満州国独立軍事クーデター
満州事変とは、「北伐完了」以降、南部の蒋介石政府統治下に置かれた、旧支配層であった満州民族を中心とする北部が、蒋介石政府からの分離独立を図って決起した軍事クーデーターでした。当然、決起したのは、満州系の人々です。満洲国の… 続きを読む ...
Read More満州事変の真相4ー柳條溝の満鉄爆破計画事件
柳條溝の満鉄爆破計画事件は満州事変の発端となった事件です。張学良が率いていた奉天軍が蒋介石軍になったため、爆破を企てたのは支那軍(蒋介石軍)になります。ですが実質は奉天軍(満州軍)ですので、日本にとっては実質的に「味方」… 続きを読む ...
Read More満州事変の真相5ー張学良の長期闘病
満州事変は、中国東北部(満州地域)を蒋介石政府(中華民国)から完全分離し、国家としての独立を目指した軍事クーデターです。蒋介石の統一政府から満州東北部を分離をするためには、何よりも先ず、蒋介石軍を満州東北部より全面撤退さ… 続きを読む ...
Read More満州事変の真相6ー大凌河鉄橋警備
日本軍が奉天を占領し、蒋介石軍(東北軍)を追い出し、奉天の治安維持が順調に回復したのを見届けてから、張学良は自ら奉天を退城し、少し南の錦州という都市へ軍事拠点の移動を行っています。地理的に見ると、北京のある中国北部と、奉… 続きを読む ...
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