04ー 植民地化政策の5段階

04ー 植民地化政策の5段階

ヨーロッパ諸国による植民地化政策は以下の5段階で行われました。

第1段階では、国内に反政府思想を生み出す「切掛け」を作ります。この段階では、あくまでも「切掛け作り」です。新規に接触する国家に侵略の危険を察知されてはなりません。そのため、まずは、キリスト教の宣教師を派遣し、国内での普及活動を進める政策を取りました。キリスト教は「愛を説く」宗教です。その教えに触れる事は、異民族や異文化に対しての警戒心を下げる効果があったでしょう。

その後、国際貿易を申し出ます。対外貿易により植民地化の対象となった国家には、当初は敢えて大きな利益が出るように進めたため、統治者である国王によって国際貿易は奨励されました。国際貿易を通じて、欧州の文化や科学技術の提供も進んで行きます。民衆にはキリスト教が更に普及していきます。このキリスト教の普及活動の裏には、国内での伝統的な宗教観や価値観を否定する思想を民衆心理に育てる意図がありました。同時に、新しい欧州の文化や科学技術を紹介し民衆がそれらに触れることでヨーロッパ文化が自然と浸透して行きます。これを「文明化」と呼んでいました。

植民地化政策が始まった当初は、ヨーロッパ諸国は王制でした。1700年代になると、ヨーロッパでは民主革命が勃発し、王制から民主制に国家体制が変遷して行きました。これに伴い、キリスト教の布教に加えて、民主国家という新体制や新思想を説くことが推進されるようになります。植民地対象国は王制であるため、不満を抱く多くの若者がこれに賛同するようになって行きました。こうして、国内での伝統的な宗教観や価値観を否定する思想を自然と普及させます。

第2段階では、キリスト教徒やその思想に共鳴する人々を中心に、既存の王政に対抗する勢力を生み出して行きます。当時の植民地化の対象となった全ての国々は、王による絶対支配であった為、常に国内では王政に不満を持つ勢力や人々は存在していました。そこへ、神の平等な愛を解くキリスト教の思想を説き、身分階級の無い民主国家の建設についてその正当性を説いて行きます。同時に、対外貿易により欧州の文化や科学技術の提供する傍らで、国内に「武器の提供」を進めていきます。これは、政府(王制)側と、反政府(民主制)側と、両方に対して提供して行きます。日本を例に取れば、政府(徳川)側はフランス、反政府(薩摩長州)側はイギリスが、夫々、その役を買っていました。将来的に、対象国内で「政府」と「反政府」の間で大規模な内乱を起こす為の準備期間でもありました。

第3段階では、「反政府側」の勢力が育ってきたところで、その勢力に対して、ヨーロッパの最新の武器と軍事資金を提供し、「政府=王族」に対して民主化を唱え独立宣戦布告させます。政府は鎮圧を図りますが、これを契機に、国内で内乱を勃発させます。どの国でも、国内では常に少数異民族間の対立や分裂といった問題は存在しているので、それを民主化という大儀の下に、王制と民主制との戦いとして深刻化させ発展させるのです。

当初は、政府派、反政府派、双方に対してヨーロッパの最新式の武器提供も進めて行きます。購入資金不足から当然「軍事資金の借款」が行われ、これにより政府側の財政を破綻に導きます。内乱勃発の目的は、最終的に王朝を滅亡に追い込む事ですので、反政府側への武器提供と資金提供を「優遇」しつつ、内乱決起に備え、国内に武器を普及させて行きます。その結果生じた深刻な内乱により、ほぼ全ての国々で王制が弱体化し、滅亡に追い込まれます。同時に、王という求心勢力を失った国内では、少数異民族間での独立問題も生じ、国内の各所で民族間の紛争が起きていきます。国内でのそうした深刻な内乱紛争は、経済の疲弊や国庫の破綻を加速させ、10年も掛からずに国は崩壊へ進みます。

第4段階では、武器や軍事資金を提供し、政府転覆を果たした反政府側により、臨時政府を立ち上げさせます。既存の王や王族については、民主革命の名目の下に、排斥、暗殺または処刑という形で滅亡させます。そして、民主革命の名の下で、「新政府」を立ち上げさせるのです。ここまで来た段階で、今度は、貿易や国内での経済活動に関して、それまでの融和政策から一転、極めて不平等な条件を強要する方向へ、一気に態度を変化させます。第3段階では多くの国で武器提供による「軍事資金借款」問題が生じていることもあり、民主政治の経験の無く政府を立ち上げた「庶民」が、全てを主導したヨーロッパ諸国に従わざるを得ない状況を生み出します。これにより、不平等な貿易強要など、強硬な政策を加速させます。

第5段階では、こうした強硬な要求に対して、新政府側から不満が起き、ヨーロッパ諸国に対し「反乱」が起きるのを待って、今度は、反乱鎮圧を名目で戦争を起こします。対象国家では、既に、長年の内乱紛争で国の経済は疲弊し、武器の購入で国庫資金も無く、多額の軍事資金借款により債務国となっています。兵力となる人材もそれまでの内乱で多数失っています。「新政府」は成立直後で国全体への統制力は低く、戦争を組織する力も十分ではありません。既に王族は滅亡し、国を纏める中心人物(リーダー)を失った状態では国内での戦力が纏まらず、勝ち目はありません。

植民地化を進めるヨーロッパ各国も、この時期に合わせて本国から少しずつ必要な軍隊と武器を移動し準備もしており、不安定な新政府には抵抗する余力はありません。むしろ、国内の内乱の収束のため、進んでヨーロッパ諸国の支配下に入る国も出て来ます。また、外国に対しての国際戦争で敗戦すれば、負けた側は戦争責任から領地の割譲や統治権を奪われます。予め政治革命や内乱で王制を自分達で崩壊させていますので、ヨーロッパ諸国による侵略戦争だとは言えず、他国からの協力も得られず、国家が崩壊します。新政府には多額の軍事資金借款が負債として残ります。国民はそれを返済する為に、無償労働を強いられ、民衆の奴隷化が達成するのです。奴隷となった民衆は、他国への「商品」とされたとしても「多額の債務者」ですので文句は言えません。

そうして支配下に置いた後は、国内で幾つかの勢力が対立し続ける構造を生み出し、それらを取り纏める役として支配層となり君臨します。これが、イギリス、フランス、オランダ、スペインその他、ヨーロッパの国々が、南北アメリカ、アフリカ、インド、アジア地域に、次々と植民地を拡大出来た理由です。

当時、中国の植民地化を狙うヨーロッパ諸国は複数いましたが、特に主導権を取っていたのはイギリスでした。ある意味、上記の政策を最も巧妙に展開していたとも言えるでしょう。

 

 

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