05ーアジア植民地化の時代

05ーアジア植民地化の時代

アメリカがイギリスの植民地から独立した国であることは有名ですが、ヨーロッパ諸国による植民地化政策は、第二次世界大戦終焉まで数百年間に渡って世界規模で推進されて来た「ヨーロッパ諸国による実質的な世界侵略構想」であり、ヨーロッパ諸国がまだ王制であった中世の時代から始まっていました。

ポルトガル:第一波

ヨーロッパ諸国による世界的な植民地化政策は、ざっくり地域分けすると、当初は、スペインは南アメリカイギリスとフランスは北アメリカ、そしてポルトガルやオランダはアフリカやアジアを回る南方ルートで進められて行きました。大国に西方のアメリカ大陸を奪われ、小国は陸続きに開拓し易い南方や東方へ向かったともいえます。

ポルトガルは1400年代前半にはアフリカ大陸の植民地化を始めおり、1500年代初頭にはインドや更に東方の国々に対して植民地政策を開始しました。ポルトガルとオランダは、アフリカ、インド、アジアの各地で植民地化を図りながら、日本には、江戸時代以前の1543年に到達しています。その後、イギリスやフランスが、先行開拓していたポルトガルやオランダのルートに本格進出して行きます。

イギリス:第二波

イギリスでは1600年に東方貿易を行う東インド会社(EIC)が発足しています。1633年にはインドのベンガルの植民地化が始まり、そこをインド植民地化の拠点に、1639年にマドラス(チェンナイ)、1641年にカルカッタ(コルカタ)を占領し、全インドの支配へ拡大させ、1816年にはネパールも政治的支配下に置くことに成功しました。そして、その後も東方へ支配地域の拡大を図り、1750年頃には中国へ到達しています。1773年からは、イギリスは植民地化政策の一環として、インドで生産していたアヘンを中国全土へ流通させ始めます。

北アメリカの独立戦争は1775年から10年程でしたが、イギリスとしてはアメリカの独立を阻止するためにも、多額の軍事資金が必要だったのかも知れません。アヘンは、当時は、嗜好品の一種であるタバコとして使用され、中国では、アヘンの輸入直後から、その中毒性の強さから国全体に急速に広まりました。清帝国(中国)は、程無くしてアヘンの危険性に気付き、輸入を禁止しようとしましたが、逆に、この措置がイギリスと清帝国(中国)との間での戦争に発展してしまいます。

アヘン戦争とイギリス

第一次アヘン戦争と呼ばれる戦争です。これは、歴史上、イギリスと中国の最初の戦争となり1840年に始まりました。イギリスは清帝国(中国)に勝利し、その結果、中国ではアヘンの輸入量が増大してしまいます。国内では以前にも増してアヘンが蔓延するようになり、これを打開すべく、清帝国(中国)は1856年にもイギリスに対して第二次アヘン戦争をしていますが、これにも敗退し、不平等な条約を多数結ばされる事になりました。

更に、当時、清帝国(中国)はフランスとの間でも戦争になり敗戦しています。インドやアジアの植民地化では、同じヨーロッパの国であるイギリスとフランスは互いに協力体制にあったので、フランスが清帝国(中国)の国力を弱めるために追い打ちを掛けたといえます。戦争は結果に関わりなく国庫の財政にとっては大きな支出となります。国家としての財政難に加え、こうした外国との度重なる戦争に敗退する事により、多くの領土を分割譲渡させられ、清帝国の中国での統治力は急激に弱体化していく事になりました。

 

 

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