03- ユダヤ人と植民地政策

03- ユダヤ人と植民地政策

世界史では一時期、ヨーロッパ諸国による植民地化時代がありました。植民地になるとは実質的に国家が「奴隷支配」を受けるに等しい状況に陥ります。当時は、日本も、中国も、ヨーロッパ諸国による植民地化の危機にありました。アメリカがイギリスの植民地から独立したことは世界中誰でも知る歴史でしょう。大航海時代でもありましたが、アフリカ、インド、アジアと東方へヨーロッパ諸国は植民地を展開して行ったのです。

しかし、ヨーロッパの国々であるギリスやフランスが、地理的にも遠く離れたアフリカ諸国やインドなどの大きな領土を持つ国々を、なぜ次々と植民地化し支配下に置く事が出来たのでしょうか?中国に至っては、地理的にも更に遠く、清帝国は巨大な国家でした。なぜ植民地化の危機が生まれたのでしょうか?そこには非常に巧妙な戦略がありました。この戦略を理解すれば、当時の中国と日本が、国家として、どの位深刻な脅威を抱えていたかが理解出来ると思います。この植民地化に使われた戦略が、中国での革命戦争と日中戦争の「大元の原因」を作ったと言っても過言ではありません。

ユダヤ人商人による植民地貿易

歴史の表向きとしては、植民地化政策を推進していたのは、ヨーロッパ諸国です。しかし、実際に中心となって動いていた人々は、各国に在籍するユダヤ人の商人達でした。ユダヤ人はかつては自分の国を持たず、長年に渡り様々な国を流浪していた民族として有名です。また、同時に、非常に高い言語習得能力や商才に長けていることでも有名です。日本人の感覚からすると、非常に頭が良く、何をやっても優秀で、尊敬の念を禁じ得ない人々でしょう。強いて言うと、少しひがみっぽい傾向はあるようですが、安心して一緒にいられる貴重な民族でしょうか。

中世ヨーロッパ諸国の王族は、そうしたユダヤ商人を非常に重用しました。彼らに海外貿易特権を与え、軍隊や武器の所有さえも許可していました。これが、植民地化が実現した理由の大きな一つです。ヨーロッパの各国は、ユダヤ商人を通じて、植民地貿易を行っていたのです。植民地貿易とは、植民地となった国々と国際貿易を行っていたのです。例えば、インドから中国にアヘンを販売していたのはイギリスですが、実際の取引は、サッスーン家というボンベイに拠点を持ち商業展開していたユダヤ商人でした。他にも多くのユダヤ商人がアジアの植民地化に深く関わりました。当時の全世界の植民地貿易のほぼ全てはユダヤ人商人が主導したとも言えます。

しかし、それだけの理由では、オランダ、ポルトガル、イギリス、フランスなど、ヨーロッパの小さな一国家が、アフリカやアジアの大きな領土と人口を持つ国々を植民地化出来た理由としては不十分です。植民地化とは他国を支配下に置き、領土を広げ、その国民を奴隷化することです。本来であれば、戦争を起こし、勝利し、損害賠償として領土をその民衆ごと分割譲渡させる必要があります。

当時、東方への移動は船で航海か、陸を歩くか方法はなく、ユダヤ商人は軍隊を動かす権限は持っていたものの、本国から遥か遠く離れたアフリカやインドやアジアの国々へ大規模な軍隊を率いることは不可能でした。それにも関わらず、大きな軍事力を使わず、インドのような大国を植民地化し支配下に置けたのです。

ここに、戦争をせず、領土を拡大する非常に巧みな戦略がありました。植民地化の戦略は、時間を掛けてゆっくり進むので、多くの国々がそれを見抜けず、気が付いた時には国が大混乱し、その結果、次々と植民地化されて行きました。時間は必要ですが、戦争でも数年かそれ以上掛かる場合もあります。また、時間の問題以上に多額の戦争資金が必要になります。それらを考えれば、ユダヤ人の行った植民地化政策は、他国を支配するには「最も効率的な戦略」と言えたかも知れません。そして、実際に戦略として何を行ったのかは、一言で言えば、植民地化の対象国に自ら内戦を起こさせたのです。中国のことわざで言えば、「漁夫の利」戦術でしょうか。

 

 

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