満州国建国の真相6-満州国は傀儡国家では無かった

満州国建国の真相6-満州国は傀儡国家では無かった

日本の敗戦後は、日中戦争での戦争責任は全て日本に在るという結論で、事後処理が行われました。満洲国についても、「日本に支配された」という話で無ければ、満州国皇帝と満州国の民衆には戦争責任が及びます。

戦後の東京裁判では、11カ国(インド、オランダ、カナダ、イギリス、アメリカ、オーストラリア、中国(蒋介石政府)、ソ連、フランス、ニュージーランド、フィリピン)から裁判官と検察官が派遣されました。この中で、イギリスからの独立革命中のインド以外は、全てが勝利者側の国々です。日本側の主張など揉み消されて当然です。

被疑者を犯人だと決め付け「結論在りき」で逮捕送検し「証拠を捏造」して「冤罪を着せる」という話は、どの時代でも「良くある話」です。戦後の東京裁判も、「敗戦国の日本が全責任を負う」という「結論在りき」でした。満洲国建国、731部隊、中国人の虐殺や略奪、南京大虐殺など、当時の中国で起こった「蛮行」や「悲劇」は、全て、蒋介石がやったことです。日本は、蒋介石の犯罪行為の「濡れ衣」を着せられたのです。東京裁判の「判決者」の11か国は、「南京大虐殺」の証拠とされる「写真」で「完全に騙され」ていた一方、真実を知っている国々も、日本の無実を証明する「証拠が無い」ですので、蒋介石の思うままに、日本人の犯行として世界に「虚偽情報」が拡散されました。

この状況で、満州国が日本と同盟国であると認めれば、満州国に日本と同様の戦争責任が及びます。満洲国皇帝は処刑。民衆は当時の状況であれば、「奴隷」として売買か、「植民地支配下」で一生「奴隷」です。独立前のインドや東南アジアの状況に陥ります。そのため、「愛新覚羅溥儀は日本軍に利用された」、「満州帝国は日本が作った傀儡国家」だったという話にしなければ、満州国の民衆は、日本人と同様に、大空襲や原爆など「虐殺」同然の状況に陥るでしょう。

満州国皇帝の供述と中国侵略の誤解

満州国皇帝だった愛新覚羅溥儀は、東京裁判では、しばしば酷い興奮状態に陥ったため、発言の信憑性が低いと見做されたようです。後に執筆した、自叙伝『わが半生』では、「将来祖国が処罰を受ける事を恐れ」や「歴史の真相について隠蔽した」と記しています。愛新覚羅溥儀が「歴史の真相について隠ぺいした」理由は、皇帝として満州国と民衆を守る為でした。「満州国(中国)」は「日本に侵略された」と「虚偽」を主張するよう強要され、それに従うしか方法が無かったといえます。

愛新覚羅溥儀は、清帝国崩壊後も、日本の天皇家の庇護を受け生き延び、満州帝国は日本の大きな犠牲の上で建国に至ったようなものです。日本との関係は非常に深く、「同盟国」として「二人三脚」で「植民地危機を乗り切ろう」としていました。当然、東京裁判での証言は、日本への「裏切り行為」だったといえます。しかしながら、これが戦争の現実です。日本が敗戦となった以上皇帝として満州民族を守るためには日本を「裏切る」しか無かったといえます。

当時は、中国本土では、蒋介石と毛沢東の間で「国共内戦」と呼ばれる戦争が勃発していました。中国東北部の満洲国はソビエト(ロシア)が占領し、中国共産党を支援し、中国南部の蒋介石政府はアメリカが支援し、結局、再度の「南北戦争」が勃発しました。

この状況で、仮に、愛新覚羅溥儀が「日本と同盟していた」と証言すれば、満州国の戦争責任が問われ、アメリカやイギリスなどから、領土分割など「賠償義務」を要求され兼ねません。ソビエトも同様に「領土分割」を要求するでしょう。ですから、満州国はあくまでも「被害者」であり、「日本は傀儡国家でなくてはならなかった」のです。幼少期に日本に命を救って貰ったも同然の愛新覚羅溥儀にとっては、苦渋の選択だったでしょう。

一方、日本は、愛新覚羅溥儀が「満州国が日本の傀儡国家だった」と国際裁判で証言したことで、「日中戦争は中国侵略だった」と、世界中に誤解される結果となりました。

中国の歴史映画やドラマなどでは、未だに、日本軍が中国共産党や中国市民を虐殺するシーンが多数ありますが、中国で虐殺行為を行っていたのは「蒋介石政府軍」です。蒋介石政府軍が、敵対する「中国共産党」の党員やその家族に虐殺や凌辱行為を繰返していたのです。「南京大虐殺」の「捏造証拠写真」は、そうした蛮行の中で作られたものでしょう。 生身の人間を惨殺した本物の犠牲者の写真です。そうして、巧妙に捏造された写真が、「愛新覚羅溥儀の供述の裏付け」となり、「日本が中国を侵略した証拠」となったのは言うまでも有りません。

そうして、巧妙な冤罪捏造の手口で、世界中を騙し、蒋介石が自分の「蛮行」を隠ぺいする目的で、全ての罪を日本へ押し付けたのです。

 

全ては蒋介石の仕業

中国人を各地で虐殺していたのは、日本軍ではありません。全て、蒋介石政府軍によるものです。日中戦争時代、というより、清帝国滅亡後の「南北戦争時代」、中国共産党と敵対関係にあったのは、蒋介石政府の方です。

私は「南京大虐殺の証拠」とされる「写真」の「犠牲者」は、その殆どが、中国共産党側の民衆だったのではと考えます。北京政府側の民衆は、満州軍(張学良軍)と日本軍が守っていました。あれほどの犠牲が出たとすれば、蒋介石が「撲滅」しようと躍起になっていた中国共産党に関わる人々だったでしょう。

中国共産党と日本軍は、多少の「衝突」はあっても、大きな軍事衝突は無かったと言えます。これは、日本は、ソビエトからも「石油」を輸入しており、ソビエト(ロシア)と日本との国際経済協力関係があったためです。また、満州国は、ソビエト(ロシア)の東端を接する国であり、満州国の存在はソビエト(ロシア)にとっては、中国側(蒋介石政府=イギリス)への「防衛壁」の役割になります。日本との国際経済協力関係からも、満州国の建国に反対する理由はありません。

蒋介石は、日本の敗戦後、アメリカ軍を利用して中国国内に進軍し、中国共産党と「4年に及ぶ大戦争」を繰り広げました。アメリカは、中国での内戦がソビエトとの「戦争」に及ぶのを恐れ、また、この頃には「蒋介石に騙された」ことに政府も気が付き、アメリカは蒋介石の支援を実質停止しました。

アメリカが蒋介石を「見切った」ため、中国共産党が勝利し、1949年10月1日、中華人民共和国の建国が北京で宣言されるに至りました。しかし、蒋介石としては、アメリカ軍を利用すれば、中国共産党には確実に勝利出来ると考えていたでしょう。勝利した後に、中国の各地で行われた蒋介石軍による虐殺、強奪、強姦など、鬼畜同然の「蛮行」の責任については、誰かに「罪を擦り付ける必要」がありました。蒋介石の犯行だとバレれば、蒋介石は大衆からの支持を完全に失います。

蒋介石は、アメリカを騙して、日本と戦わせるために、「南京大虐殺」の写真を「証拠捏造」しましたが、同時に、初めから日本に「冤罪」を着せる為に「証拠捏造」をしていたといえます。

 

全てが日本の責任にされましたが、これを決定付けたものが、満州国皇帝の「虚偽供述」だったことは言うまでも有りません。「満州国は傀儡国家では無かった」のが「満州国の真実」です。

 

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