満州国建国の真相4-独立を宣したる満蒙新国家
1932年2月18日(昭和7年2月)、大満州国は独立を宣言し、1932年3月1日(昭和7年3月)を国家成立元年とし独立を果たします。愛新覚羅溥儀が元首となっています。
満州事変から第1次上海事変に至る展開は、日本の軍事力だけで達成できるような内容ではありませんでした。当然、日本と満州(中国北京政府)が水面下で協力したからこそ達成出来た「快挙」だったといえます。日本が「表向き」で「軍事侵攻」することで、蒋介石からの攻撃を完全に逆手にとり、「日本が間に入る」ことで、蒋介石が満州を直接攻撃する理由を潰したということです。そうした非常な頭脳戦を繰り広げた結果、南北での大規模な内戦の勃発を回避しつつ、あっさり独立を達成しました。
昭和7年4月(1932年4月)発行「歴史写真」から
独立を宣したる満蒙新国家の元首と大官1932年2月(昭和7年2月)
記事:
限りない資源を蔵して而もその開発意の如くならず、徒らに張学良一派軍閥の圧迫と搾取に苦しみたる満蒙三千万民衆は、今回図らずも勃発した満州事変に際して、我が日本軍の武威遂に克く彼の暴戻なる軍閥を掃蕩し尽したる機会に乗じ、全民衆の総意に依り茲に中華民国を離脱して新たに自主独立することをとなり、内は王道を以て基準とし人民の安寧福利を増進し、外は門戸開放、機会均等主義を尊重して外国と修睦する方針の下に、愈々二月十八日中外に向かって独立を宣言したが、その元首には前清国皇帝たりし宣統帝即ち溥儀氏を推戴して執政と呼ぶこととなり新国家建設の衝に当たる最高政務委員会は、張景恵、馬占山、臧式毅、熈洽、及び、湯玉燐の五氏を以て組織せられ、建国の大業は今や着々と進捗しつつあるのである。写真の左は新国家の元首となれる溥儀氏、右は二月十六日本天大和ホテルに於て徹宵建国会議を催したる巨頭連で、右より馬占山氏、臧式毅氏、張景恵氏及び熈洽氏である。
この時、最高政務委員会の4巨頭の一人となった馬占山氏は、満州事変の際、蒋介石軍側で黒龍江軍を率いていた人物で、日本からすれば敵の将軍です。満州国建国で寝返ったという見方も出来ますが、この人物が参政するという事が、満州事変が、軍事衝突としての実態は「形式的」なものであり、初めから独立に向けての計画であったことの証拠といえます。
昭和7年5月(1932年5月)発行「歴史写真」から
昭和7年3月 満州新国家建国大祝典
右ページ
左ページ
記事:
世界の歴史上に記念すべき滿洲新國執政溥儀氏の就任式は三月九日午後三時から新都長春市政府內金色の光まばゆき大廣間に於いて莊嚴に暴行せられた。定刻、新政府の各大官を始め我が內田満鐵総裁、本庄關東軍司令官等設けの席に着くや、 溥儀氏夫妻は侍從の先導にて式場に入り、國璽捧呈の式を行ひ、次で張景惠氏執政推戴の辭を陳ぶれば執政是に對して答辭を述べ、満場厳粛裡に宣誓及び宜布を發し、終って內田満鐵総裁外賓を代表して就辭を呈し、元首又答辭を述べて故に意義深き執政就任の大儀を終り、「滿洲國萬歳、元首萬歳」の聲は一斉に湧き起った。
写真:
寫眞前頁の右は最近の執政溥儀氏。左上は式後の記念撮影で中央溥儀氏、左へ本庄司令官、内田総裁、森司令官、又溥儀氏より右へ張海鵬(軍服) 筑考胥、張京恵の諸氏である。同下は就任式場、又後の頁の右上は就任式の前日即ち 三月八日執政夫妻長春驛到者の盛観。同下は長春に於ける森到立司令官の建國就観兵式。 左は新國家國旗掲揚式で、族の右側に立てるのは執政溥儀氏である。
上記は、満州国建国の際の祝典の模様を報じた記事です。映画のラストエンペラーで描かれたシーンとは異なり、「満州国万歳、元首万歳」の声が一斉に沸き起こるような祝典だったといえます。戦後75年以上も、「満州国は日本の傀儡国家」として認識されていますので、満州民族が、一旦は失った「清国」を故郷で再興した喜びをにわかには信じられなでしょう。ですが、真実は、真相は、母国で「清国」を復活させることだったのです。
また、それ以上に、蒋介石の政府が、北伐、中原大戦、共産党討伐など、1920年以降の10年で行って来た数々の戦争の軍事費用として、どのくらい巨額な対外軍事借款が累積したかを考えれば、満州や蒙古民族が、その債務から逃れるために、何としても国家として分離したかったであろうことは想像に易いでしょう。
昭和7年5月(1932年5月)発行「歴史写真」から
昭和7年3月 1932年3月1日 新国家 満州国建国の日-満州小学校
上記は、前年9月に満州事変が勃発し、休校になっていた小学校が再開した記事です。「歴史写真」の良いところは、単に「文字による資料」ではなく、掲載された写真が、当時の実際の様子の「証拠写真」になっているところです。小学生が背筋を伸ばして、黒板に向っていますが、一旦は、蒋介石政府に軍事占領されたも同然の状態から10数年を掛けて、民族独立を達成したのですから、国家としても、国民としても、大きな喜びに満ちた日だったことでしょう。
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