朝鮮半島の日本併合の真相6-朝鮮(新羅)への中国移民(朝鮮の氏名一覧)
663年に日本が白村江の戦いで、唐の遠征軍に大敗し、朝鮮半島での統治権を失いました。668年には北部の大国であった高句麗も唐の遠征軍に滅ぼされました。唐は、朝鮮半島を侵略するため、南部の新羅に目を付け、中国人を続々と移民させて行きました。
以下は、朝鮮の氏名(本貫)の一覧です。中国系の氏名の一族は、基本全て、唐の時代以降に、朝鮮半島へ渡来していることが解ります。新羅は、日本の半島撤退後、政治体制など急激に中国化(唐化)していきました。唐(李氏皇帝(Emperor Rhee)は、朝鮮半島の侵略を前提に、新羅に中国人系移民を奨励し、統治者側としての人材を多数送り込んだようです。
新羅からすれば、大軍の唐には逆らえなかったのでしょう。実質的には「新羅は唐に植民地化」されて行ったのでしょう。
朝鮮人の氏名と出身
Wikipediaの情報を纏めた表ー2015年現在のインターネットに公開資料に基づく。
説明文のあるもののみ抽出。
Wikipedia の説明(抜粋): 朝鮮の姓は約250であり、五大姓と呼ばれる金、李、朴、崔、鄭などの一部の姓に人口が集中しているため、「本貫と姓」の組み合わせによって一つの宗族が弁別される。
★一部の姓に人口が集中している理由は、これらの5つの本貫氏名の内、李氏と鄭氏以外は、元々、特に金氏と朴氏は、古来より朝鮮半島に現住していた「倭人」だからです。それ以外の本貫氏名は「中国からの移民」であり、征服した側の統治者です。
そのため原住民族だった倭国系が80%程度、渡来した中国系が全部合わせて20%程度の構成が生じました。唐の皇帝一族が流入した高麗建国時は、「倭人の比率はもっと高かった」かも知れません。
金氏王族系(Kim Royal Family)
(倭人ー朝鮮半島の原住民族)
日本は15000年前から縄文文化がある通り、非常に歴史の長い国家です。日本語と中国語の文法構造の違いから、また、日本語と朝鮮語の文法構造の極端な一致から、朝鮮半島全土は、かつて、「倭国(古代日本)」であったと言えるでしょう。
日本で720年に成立した日本書紀という歴史書には、高句麗、百済、新羅、任那が「日本領」であったことが記されています。朝鮮半島から王族は日本の皇族待遇でした。日本へは、上記の4国から、王族や外交使節が頻繁に往来していました。
高句麗滅亡後、高句麗の王であった「高氏(Go Family)」は、日本に引揚げました。朝鮮半島へ残った高句麗の人々は、唐の大軍に処刑されたか、奴隷にされたかでしょう。高氏(Go Family)は、末裔が韓国にも残っているようです。百済(Kudara)については、王族だった百済氏(Kudara Family)が現在も残っています。最後の国王である義慈王と共に、多くの民衆が倭国本土(日本)へ引揚げたようです。任那は、日本が朝鮮半島の統治政府を置いた国でした。
上記も、高句麗、百済、新羅、任那が「倭国の国」であった証拠です。
朝鮮の主要な本貫 - 倭国系 1
以下の表での「新羅」は、663年の白村江の戦いで朝鮮半島化から日本が撤退する以前に建国していた「新羅」のことです。日本撤退後の「統一新羅」ではありません。
氏名 | 本拠地 | 始祖の出身 | 出身 | 種別 | 説明 |
金(Kim) | 金海 | 金官伽耶 | 倭国系 | 土着 | 金官伽耶(駕洛国)の王族を始祖とする氏族。伽耶初代王首露王の子孫と称する。同名の本貫に日本の降将沙也可(金忠善)を始祖とするものがあるが別本貫扱い。金海許氏は金官伽耶の首露王の子孫とし、金海金氏と同本貫扱いとする。 |
金(Kim) | 慶州 | 新羅王族 | 倭国系 | 土着 | 新羅王族を始祖とする氏族。
金姓新羅王の祖、金閼智を始祖と称する。 |
金(Kim) | 善山 | 新羅王族 | 倭国系 | 土着 | 新羅王族を始祖とする氏族。
新羅王族金宣弓を始祖とする。 |
金(Kim) | 全州 | 新羅末期 | 倭国系 | 土着 | 新羅末期の第56代敬順王の第4王子金殷説の8世孫、金台瑞が蒙古の侵攻によって全州に移住し始祖となる。 |
朴(Park) | 密陽 | 新羅初代王 | 倭国系 | 土着 | 新羅景明王の長男、朴彦忱を始祖とする氏族。
新羅初代王朴赫居世を始祖と称する。 |
朝鮮の主要な本貫 - 倭人系 2
以下は、新羅六部とは、日本撤退前の「新羅」の、慶州盆地にあった6つの地域のことです。
氏名 | 本拠地 | 始祖の出身 | 出身 | 種別 | 説明 |
崔(Choi) | 慶州 | 斉、新羅六部 | 中国系 (高句麗) |
土着 | Wikipediaよりー
崔(さい)は、中華圏の姓の一つ。炎帝神農を祖とする。崔季子の後世は代々斉の要職に就き、斉国の豪族。平州刺史の崔毖は一族を率いて高句麗へ亡命し、朝鮮半島における崔氏の祖となったと言われる。
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孫氏(Sun) | 慶州 | 斉、新羅六部 | 中国系 (高句麗) |
土着 | Wikipediaよりー
「孫氏兵法」で有名な孫武は斉の宗族の出身とされる。高句麗時代に、斉の豪族だった崔毖と共に、高句麗へ渡来した可能性あり。 新羅建国時の新羅六部の一つ、漸梁部の村長だった |
尚、Wikipedia では、裴氏(Pai clan)の説明は、「新羅建国時の新羅六部の一つ、漢祇部の村長だった祇沱を始祖と称する」。また「中祖とする裴玄慶は高麗の開国公臣である。」とあります。
一方、裴氏は、「秦の始祖である非子の後裔」とあり、「隋唐に至って全盛」を迎え、 隋と唐では官僚と宰相を輩出した家系とあります。ここでは、中国系に含めています。
現在の日本では、「在日」にも「帰化」にも、北朝鮮系と韓国人がいます。朝鮮半島から日本へ来た人々に、中国系氏名と倭人系氏名が混在する理由は、日本併合により、中国系と倭国系が社会に混在する状況が生まれたからです。
李氏朝鮮(Lee Dynasty)王族の本家一族は日本併合派であり、日本と同盟関係にあったことから、金氏や朴氏など倭国系の人々だけでなく、李氏朝鮮王族の本家に従う中国系の人々も、日本へ多数渡来しました。
日本の敗戦後、彼らが朝鮮半島へ戻れなかったのは、「朝鮮半島の日本併合の真相1-李承晩の大虐殺1(朝鮮戦争前)」および「朝鮮半島の日本併合の真相2-李承晩の大虐殺2(朝鮮戦争中)」で述べております。また、韓国成立後、日本へ大量の韓国人が流入したのは、「朝鮮半島の日本併合の真相3-韓国政府の民主弾圧」でご説明の通りです。
李氏(Rhee Family)系(唐からの中国移民)
李氏(Lee Family)は、唐の皇帝一族である「鮮卑族の李氏(Lee)」の家系です。
朝鮮半島の氏名分布としては、最も古い「慶州李氏(Lee)」は、新羅の初期に移民した一族でした。当然、この「新羅」とは、日本撤退後に成立した「統一新羅」なります。新羅の時代に移民したとは、中国の唐からの移民だったことを意味します。
この表からも、「李氏朝鮮(Rhee Dynasty」が、唐の鮮卑族の皇帝一族が、朝鮮半島へ逃げ込み、高麗という「征服王朝」を建国し、その後に、統治者を「李氏」にして、国家の名称を「李氏朝鮮(Rhee Dynasty」変更したという歴史が伺えます。
黄氏、盧氏、趙氏は、朝鮮半島の複数の地域に支配領域を持っていた様です。中央政権に近い人々であったといえます。
鄭氏は、Wikidpediaの「鄭応沖」の説明の通り、宋の滅亡のため高麗に亡命したとあります。「新羅建国時の新羅六部」に関係したとは考え難いので、渡来系に分類しています。
朝鮮の主要な氏名(本貫)-中国からの渡来系 1
氏名 | 定住地 | 始祖の出身 | 出身 | 種別 | 説明 |
李(Rhee) | 延安 | 百済侵略時の 唐の将軍 |
中国系 | 渡来 | 始祖は李茂。唐高宗期の百済侵略時の唐の将軍。 後に新羅に帰化。 |
李(Rhee) | 慶州 | 新羅 | 中国系 | 渡来 | 新羅初期の豪族をルーツとする。始祖を李謁平と称し、新羅建国時の6村(新羅六部)の一つ、及梁部の村長をしていた。 |
李(Rhee) | 全州 | 李氏朝鮮の
初代 |
中国系 | 渡来 | 新羅の高官李翰を始祖と称する。公式的には李氏朝鮮の初代、李成桂はこの氏族の出とされている。 |
黄(Huang) | 昌原 | 後漢 | 中国系 | 渡来 | 始祖は黄石奇・黄忠俊・黄亮沖。 後漢光武帝期の建武4年に新羅に渡来した黄洛の末裔。 |
黄(Huang) |
長水 | 後漢 | 中国系 | 渡来 | 始祖は黄瓊。 後漢・光武帝期の建武4年に新羅に渡来した黄洛の末裔。 |
黄(Huang) |
平海 | 後漢 | 中国系 | 渡来 | 始祖は黄温仁。 後漢・光武帝期の建武4年に新羅に渡来した黄洛の末裔。 |
盧(Roh) |
交河 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 唐の翰林学士盧穂が新羅に渡来。その次男盧塢が、新羅の交河伯に封じられたのを祖とする。 |
盧(Roh) | 光山 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 唐から新羅に渡来した盧垓の息子盧穂が光山伯に封じられたのを祖とする。 |
趙(Zhao) | 咸安 | 後唐 | 中国系 | 渡来 | 始祖は趙鼎。五代十国の後唐から新羅に渡来。 |
趙(Zhao) | 漢陽 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 始祖は高麗時代の趙之寿。中国からの渡来人。趙光祖などを輩出。 |
鄭(Zheng) | 東萊、慶州、延日、河東
他 |
殷、晋 | 中国系 | 渡来 | Wikipedia-
鄭(チェン)は、中国の姓の一つ。春秋戦国時代の諸侯国の一つ、鄭に起源を持つ。秦末から晋代にかけて、鄭氏は現在の浙江省、陝西省、山東省、湖南省、湖北省、四川省、安徽省、河北省、山西省などに広がった。唐代にも多くの宰相を出した。 鄭応沖 – 北宋の婺州浦江県人。中国宋の文官であり、朝鮮氏族の瑞山鄭氏の始祖。 智伯虎の子孫で、高麗の安逸戸長である鄭絵文が始祖(鄭絵文の先系は昔脱解王時、高句麗系の多婆那国人の説がある)。(智氏は殷の王族の末裔関係。智 瑶(ち よう、生年不詳 – 紀元前453年)は、春秋末期の晋の政治家) |
上記の主要本貫以外の中国系の移民の人々は、各地域の統治者として朝鮮半島に分散した人々でしょう。ほぼ、全員、「統一新羅」の末期、唐の滅亡後に建国した「宋(南宋/北宋)」時代に、高麗へ渡来した人々です。
朝鮮では、高麗以降、庶民は「中国系」で、それ以外の「倭人系」は全員、奴婢(奴隷)として扱われていました。唐の皇帝一族と市民からすれば、征服した原住民である「倭人」は奴隷であって当然だったといえます。当時の時代背景からすれば、「処刑しないだけ増し」という状況だったといえます。
最近の韓国時代劇では、朴氏や金氏の官僚が登場しますが、本来の歴史からは「有得ない」と言えます。金氏や朴氏など「倭国系」の人々が、奴隷から解放され、庶民となったのは、日本併合以降です。
朝鮮の主要な氏名(本貫)-中国からの渡来系 2
以下の表から、朝鮮半島には、なぜ中国系の氏名を持つ人々が多いのか理由が解ると思います。ほぼ全て、高麗時代か日本撤退後の新羅時代に中国より渡来しています。
氏名 | 本拠地 | 始祖の出身 | 出身 | 種別 | 説明 |
劉(Liu) | 江陵 | 宋 | 中国系 | 渡来 | 始祖は劉承備。劉邦を祖とする。 宋から高麗文宗36年に亡命。 |
池(Ji/Zee) | 忠州 | 宋 | 中国系 | 渡来 | 始祖は池鏡。960年宋から高麗に渡来。 |
禹(Woo) | 丹陽 | 中国 | 中国系 | 渡来 | 始祖は禹玄。中国から高麗に渡来し、1014年の科挙に合格。 |
王(Wang) | 開城 | 高麗 | 中国系 | 渡来 | 高麗太祖王建の曽祖父で高麗王国祖として追封された元徳大王を始祖とする高麗王の氏族。李氏朝鮮樹立後の大虐殺を受けその数が激減した。 |
郭(Guo) | 玄風 | 宋 | 中国系 | 渡来 | 始祖は郭鏡。宋の弘農出身。1133年に高麗に渡来。 |
辛(Shin) | 霊山 | 中国 | 中国系 | 渡来 | 始祖は新羅35代景徳王時代に中国から渡来した辛鏡。 寧越嚴氏始祖と共に渡来。 |
魏(Wei) | 長興 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 善徳女王の時代に唐から渡来。 八学士の一人魏鏡を始祖とする。 |
呉(Wu) | 海州 | 宋 | 中国系 | 渡来 | 始祖は高麗に宋から渡来した呉仁裕。 |
厳(Eom) | 寧越 | 中国 | 中国系 | 渡来 | 始祖厳林義。新羅景徳王時代の中国からの渡来人。 霊山辛氏・寧越辛氏始祖と共に渡来。 |
洪(Hong) | 南陽 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 高麗の功臣洪殷悦が始祖。 善徳女王時代に唐から渡来した。 |
朱(Zhu) | 新安 | 南宋 | 中国系 | 渡来 | 始祖は朱潜。朱熹の子孫。 南宋の朱潜がモンゴル侵入時に高麗に亡命。 |
徐(Xu) | 利川 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 始祖は徐神逸。新羅孝恭王の時代に唐から渡来。 |
白(Bai) | 水原 | 唐 | 中国系 | 渡来 | 新羅太宗期に唐から渡来した白宇経を祖とする。 |
陳(Chen) | 驪陽 | 高麗 | 中国系 | 渡来 | 始祖は陳寵厚。高麗時代の官僚。 宋徽宗期の渡来人陳琇を祖とする。 |
任(Im) | 豊川 | 中国紹興府慈渓県人 | 中国系 | 渡来 | 始祖は任温。中国紹興府慈渓県人。 1275年忠烈王妃が入妃するに伴って渡来。 |
林(Lim) | 平澤 | 殷 | 中国系 | 渡来 | 始祖は林彦修・林世春、殷の紂王時代の比干を起源とする。 |
閔(Min) | 驪興 | 李氏朝鮮 | 中国系 | 渡来 | 始祖は閔称道。孔子の弟子の閔子騫の子孫。 京畿道驪州に土着し李氏朝鮮の王后多数を輩出。 |
柳(Yoo/Liu) | 文化 | 高麗 | 中国系 | 渡来 | 始祖は高麗建国の功臣柳車達。 中国からの渡来人。 |
羅(Na) | 羅州 | 高麗 | 中国系 | 渡来 | 始祖は羅富。中国豫章から高麗に渡来。 正義大夫、監門衛上将軍を歴任し羅州に住む。 |
裴(Pei)
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慶州
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秦
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中国系
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渡来
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Wikipediaよりー 秦の始祖である非子の後裔。裴氏一族は「秦漢より以来、六朝を経て盛んとなり、隋唐に至って全盛を迎えた。」 隋と唐では官僚と宰相を輩出した家系。 |
日本の敗戦後、朝鮮半島出身の人々が、朝鮮半島へ戻れなかったのは、以下のページで説明の通り。
「朝鮮半島の日本併合の真相1-李承晩の大虐殺1(朝鮮戦争前)」
「朝鮮半島の日本併合の真相2-李承晩の大虐殺2(朝鮮戦争中)」
韓国成立後、日本へ大量の韓国人が流入したのは、以下のページで説明の通り。
在日韓国人(南)、在日朝鮮人(北)、
帰化韓国人(南)、帰化朝鮮人(北)、
皆様に言いたい!
日本の敗戦後は、「李承晩の大虐殺」により、日本併合時に、日本人へ復帰した人々と、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の本家の皇太子と共に日本へ渡来した人々などが、朝鮮半島へ戻れない状況が起りました。
朝鮮半島に戻りたくても、戻れなかったのです。現在の「在日朝鮮人」が形成されて行きました。
(韓国建国前)
韓国建国後、朝鮮戦争の休戦後は、韓国では、独裁体制からの脱却を目指し、市民や学生の民主革命(反乱)が全国規模で多発するなど、国内政治の情勢不安が起りました。結果、各地では韓国政府軍による「民間人の大虐殺」が継続していました。
結果、朝鮮半島から大量の韓国人が、生き延びるために、日本へ密入国して来る事態になり、現在の「在日韓国人」が形成されて行きました。
(韓国建国後)
この当時、
大量の韓国人避難民の密入国を「黙認」し
帰化の優遇政策など「救済措置」
を決めたのは、
日本政府であり、自民党です。
更に言えば、結局は
日本の天皇陛下
在日朝鮮半島人の人々、特に在日韓国人(韓国建国後の渡来人)の人々が、生き延びて、今、この日本で暮らしていられるのは、日本政府と自民党が支援したからです。何より、天皇陛下のお陰です。
なぜ、あなた方「在日」は、「命の恩人」である日本に対して、敵対するのですか?
日本政府や自民党は「本来味方」です。、それを、まるで「親のかたき」かのように、常に反発を繰返している。
誰が、皆様の家族や親族を「虐殺」し「弾圧」したのか?
「李承晩」であり「韓国政府」ですよね?
その上で、
北朝鮮の軍事的な制圧による朝鮮半島統一に、
「在日(Koreans)」に「嘘の歴史」を吹き込み、
日本を軍事利用する為に
韓国政府は皆様を利用してますよね?
どうか皆様の本当の歴史を知って下さい。
騙されていることに気付いて下さい。