朝鮮半島の日本併合の真相2-李承晩の大虐殺2(朝鮮戦争中)
李承晩は、日本の敗戦後、アメリカ軍を引き連れ朝鮮半島に戻り、日本併合に賛成していた朝鮮人の大虐殺を行いました。犠牲者は120万ともいわれ、多くの朝鮮人が、命からがら日本へ密航する事態が起きました。それでも、日本へ辿り着けた方々は幸運だったとしか言いようがないでしょう。アメリカへも大量の韓国人移民が出ました。この大虐殺が理由でした。資産のある人々はアメリカへ逃亡出来たようですが、一般市民の多くが犠牲になりました。
「李承晩の大虐殺1」では、1950年に朝鮮戦争が勃発するまでに起きた、大きな虐殺事件について掲載しましたが、朝鮮戦争勃発後は、更に規模の大きい大虐殺が起っていました。現在、写真や資料が残っている事件は、大規模なものでした。小規模な虐殺や無差別な処刑などを含めれば、李承晩と韓国新政府に反発する一般民衆への弾圧は、尋常では無かったといえます。
保導連盟大虐殺
日時:1950年6月25日から
犠牲者:民間人114万人(1960年調査)
処刑地域 :慶尚南道、慶尚北道、済州島、忠清北道、全羅南道
Wikipediaから説明:
日本語記事:朝鮮戦争の最中である1950年6月25日、韓国国軍、韓国警察、李承晩大統領支持者らが、共産主義からの転向者やその家族を再教育するためとして設立されていた統制組織である「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。
被害者は公式に確認されているもので4934人、20万人から120万人とする主張もある。1960年の四月革命直後に、この事件の遺族会である全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。
英語記事: The Bodo League massacre (Korean: 보도연맹 학살사건; Hanja: 保導聯盟虐殺事件) was a massacre and war crime against communists and suspected sympathizers (many of whom were civilians who had no connection with communism or communists) that occurred in the summer of 1950 during the Korean War. Estimates of the death toll vary. Historians and experts on the Korean War estimate that the full total ranges from at least 60,000–110,000 (Kim Dong-choon) to 200,000 (Park Myung-lim). ・・・
South Korean President Syngman Rhee had about 300,000 suspected communist sympathizers or his political opponents enrolled in an official “re-education” movement known as the National Bodo League(or National Rehabilitation and Guidance League, National Guard Alliance, National Guidance Alliance, Gukmin Bodo Yeonmaeng (국민보도연맹; 國民保導聯盟) on the pretext of protecting them from execution. The Bodo League was created by Korean jurists who had collaborated with the Japanese colonial government. Non-communist sympathizers and others were also forced into the Bodo League to fill enlistment quotas.
In June 1949, the South Korean government accused independence activists of being members of the Bodo League. In 1950, just before the outbreak of the Korean War, the first president of South Korea, Syngman Rhee, had about 20,000 alleged communists imprisoned.
この大虐殺も、名目は「共産主義者の撲滅」です。共産主義に関する理由であれば、アメリカ軍が反対できないからです。犠牲者の多くは、共産主義国家となった北朝鮮へは行かなかった「普通の市民」でした。韓国へ残り、民主主義の継続を求め、南部で李承晩の独裁政権を倒そうとしていた人々はいはいたでしょう。しかし、実際に虐殺された殆どの人々は、民主革命や反乱とは無関係であり、「そこにいる」という理由で虐殺されたのでしょう。
保導連盟大虐殺は、虐殺の規模が余りにも大規模だったため、流石に、アメリカ軍が状況の調査を行ったようです。
以下はアメリカ軍によって撮影された大虐殺の様子です。
上記の写真を見れば、処刑というより、軍隊が人々を溝へ追い込み一斉に乱射して殺害したことは想像に易いでしょう。韓国政府軍は、致死確認に、銃剣(先端に槍が装着されたライフル銃)で、死ななかった人々を刺して、完全に死んだことを確認していたようです。
そうした韓国政府軍(李承晩政府軍)の有様を見て、アメリカ軍も流石に嫌気が刺したのでは無いでしょう。しかし、これは、蒋介石と李承晩に騙されたとはいえ、アメリカが、中国やアジアに軍事干渉し、その結果として起きた虐殺事件であることは言うまでもありません。
慶尚南道、慶尚北道、済州島、忠清北道、全羅南道の位置
以下の地図を見れば、保導連盟大虐殺が、ソウル周辺を除いた全土、特に、南部全域で大々的に行われたことが解ります。
居昌虐殺(コチャン虐殺)
日時:1951年2月9日から2月11日
犠牲者:民間人719人を虐殺
(内 子ども(15歳未満)の犠牲者は359人)
Wikipedia より説明文
朝鮮戦争中の1951年2月9日から2月11日にかけて、大韓民国慶尚南道居昌郡にある智異山で、韓国軍が共産主義パルチザンを殲滅するための”堅壁清野”作戦として、民間人719人を惨殺した事件。
注)堅壁清野(けんぺきせいや=strong wall clearing):焦土作戦の一種。 城壁に囲まれた市街地内に人員を集中させ(堅壁)、城外は徹底して焦土化する(清野(せいや:clearing))
以下は、インターネットで、「居昌事件」の検索で上がって来る写真の一つ。
慶尚南道の場所
釜山のある地域です。
上記の茶色の部分です。朝鮮半島の南部であり、元々は、「倭人(日本人)」の領土だった場所です。この時も「共産主義者の撲滅」が理由でしたが、半数以上が女性だったようです。子供と老人も多数含まれました。当然、共産主義者の撲滅が理由ではありません。
李承晩政権への反乱勢力の潰滅であり、北部の北朝鮮への「報復行為」でした。
山清・咸陽良民大虐殺
日時 :1951年2月7日
犠牲者:705名の一般村民
Wikipedia – 居昌虐殺(コチャン虐殺)ー山清・咸陽良民大虐殺
以下は、Wikipediaから文章
2月7日に第3大隊は山清郡今西面芳谷里佳峴村(산청군 진서면 방곡리 가현마을)に進撃し、家屋を焼き払った。金目の物を集めた後、(第3大隊は)村の住民123人を渓谷に突き落としたり、四列横隊に並ばせて銃撃を加えた。さらに約2キロ離れた芳谷村の住民212名にも銃撃を加え、13時半に続けて咸陽郡休川面棟江里で60名を虐殺した。
参照元:KJCLUB URL : https://www.kjclub.com/jp
上の写真の中央に写っているのは虐殺された人々の白骨遺体です。遺体は、処刑後、そのまま放置された様です。写真の状況から、手当たり次第に虐殺したようです。
ここまで遣れば、生き残った人々は、李承晩政権(韓国政府)に対して一切口を閉ざしたのでは無いでしょうか。
当時、大量の韓国人が、日本へ逃げ延びて来ていたのも理解出来ます。アメリカや韓国に対し、敗戦国となった日本が、こうした「韓国虐殺」について公にすることも、抗議することも出来ませんでした。人命救済の観点から、日本が、韓国からの逃亡者を積極的に受け入れたことは言うまでもありません。日本の当時の立場上、それしか「出来なかった」のでしょう。
咸陽市の位置
山清・咸陽良民大虐殺は、写真の通り、犠牲者が完全に白骨化してから発覚しました。
現状では、インターネット上などに公開されているのは、大規模な虐殺や発覚した事件だけです。しかし、保導連盟大虐殺の写真の通り、韓国政府軍は、大きな溝を掘って、その中に人々を追い込み、一斉銃殺しています。虐殺後、そのまま、死骸を埋めるためだったでしょう。そのため、比較的小規模な虐殺については、犠牲者が見付かっておらず、今だに発覚されていないケースも多数存在するのでは無いでしょうか?
現在韓国(南朝鮮)が主張するように、日本が朝鮮半島を侵略し、朝鮮人を日本へ強制的に連行し、慰安婦や徴用工として酷使したのであれば、当然の如く、戦後は、大半の人々は朝鮮半島へ帰国したはずです。しかし、実際は多くが日本へ留まり、帰化するか、在日朝鮮人、在日韓国人として、現在も生活しています。更には、戦後、非常に大量の韓国人が、日本へ流入(逃亡)して来ています。この事実だけでも、日本は、朝鮮半島の侵略も植民地化もしていない証拠です。
このサイトで証明した通り、「日本は中国を侵略していません」、また東京裁判では「侵略の嫌疑は晴れています」。国際裁判で「無実」です。朝鮮半島についても、侵略も植民地化もしていません。日本が、朝鮮人を「慰安婦や徴用工として酷使した」などは、歴史的に有り得ません。
李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の王族内での「本家」と「分家」の対立
李承晩など李氏(Rhee Family)王家の外戚(分家)に当たる人々は、日本の皇室の姫君と親戚関係にあった李氏(Rhee Family)王家「本家」の王族にとっては「反乱勢力(謀反人)」です。李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の時代であれば、「王様」に対して「謀反」を起こしたようなものです。当然、自分達の正当化のために、「日本が朝鮮を植民地化した」という名目を立て、「本家は植民地化に加担した」という話を捏造しました。アメリカを軍事利用して、朝鮮半島を「本家」から奪うには、「朝鮮の独立」を大義名分に掲げ、抗日テロを繰返すのは当然の流れといえます。
日本の敗戦後、「分家」の李承晩は、「本家」側の日本に対して極めて「敵対的」でした。日本併合派の大虐殺も、当然の流れです。その上、蒋介石と李承晩が、中国アジア朝鮮を含め、「日本が悪いことをした」と「大嘘の歴史」を捏造し、日本中に情報拡散しました。日本に逃亡した韓国人を騙し、メディアやマスコミ業界へ大量に就業させ、日本で情報操作をして来ました。結果、長年、日本人も「在日韓国人」も完全に騙されて来ました。
事も有ろうに、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)分家一族が国家の中心となり、日本にいる日本併合に賛成した人々、大虐殺から逃亡した人々を利用して、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王室の略奪を正当化するために、日本併合が朝鮮半島分裂の原因であるかと主張し、長年に渡り、日本に冤罪を着せてきました。
しかしながら、日本併合とは、実際には、人口の8割以上を占める奴婢(倭人(古代日本人)を、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)から「奴隷解放」するために取られた措置でした。現在、日本にいる「韓国人」のために断行した政策のようなものです。その結果、日本は、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王家の「本家」と「分家」の権力闘争に巻き込まれたと言えるでしょう。
戦後も継続する反日姿勢
李承晩が韓国から追放後も、民主革命は失敗しており、政府体制(独裁体制)は特に変っていません。だからこそ、現在に至っても、「日本が朝鮮半島を植民地化した」という主張の下、韓国は、日本で反日テロ同然の事を続けています。しかしながら、これも、本当の歴史を知れば、特に不思議ではありません。前政権を潰した際に、新しい国家が、その行為を「正当化」するのは良くあることです。
日清戦争では、日本は、「李氏朝鮮(Rhee Dynasty)」を清帝国の属国から独立させました。日本併合は、人口の8割以上を占める奴婢(倭人(古代日本人))の「奴隷解放」であり、奴婢(奴隷)の独立革命に端を発する朝鮮半島の長期内乱を回避するためです。李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の本家王族が、植民地危機の回避のため、「日本併合」という選択をしたのです。
中国での新支那中央政府が安定し、中国アジアの植民地危機が去った後で、「満州帝国」と同様、「大韓帝国」を復活させる予定だったでしょう。李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の皇太子を、日本の皇族の一員としたのは、朝鮮本土の政情不安の中、李氏朝鮮の皇太子を暗殺から守るためでした。皇太子が暗殺されれば「大韓帝国」が復活出来ないからでした。日本には戦前から「李氏(Rhee Family)」の朝鮮人が居ましたが、王族系の人々が渡来したのは、皇太子の護衛の目的からでしょう。
李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の王族「本家」、倭人系民衆(人口の8割以上)、そして日本が協力し、50年を掛けて築いて来た「朝鮮」を、李承晩と韓国政府(李氏王家の分家)が、アメリカを騙して、日本を潰滅させて、最終的に「奪った」のです。これが、韓国建国の正しい歴史解釈です。更に言えば、日本に原爆を落としたのは、行為としてはアメリカです。しかし、アメリカに落とさせたのは、蒋介石であり、韓国政府の李承晩だったと言えるでしょう。この「世界に知られてはいけない」事実を隠ぺいする為にも、反日工作が必要であったとも言えるでしょう。
日本人と、日本にいる「在日韓国人」は、この歴史の真実に気が付くべきです。
李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王族の「分家」の「謀反」による「本家血統の断絶」
李承晩など李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王族の分家の人々は、「日本が植民地化した」と誤解していたのではなく、初めから、「本家に取って変わる」つもりだったのではないでしょうか。彼らは早期に海外へ亡命していました。当然、日本併合下の朝鮮の発展については、自分の目では一切見ていなかった人々です。
そして、海外で、李氏朝鮮王族の「本家」による「日本併合」に反対し、「日本併合反対派」を形成していました。李承晩は、早くから、反日抗日を唱える蒋介石と同盟関係にありました。戦後に、アメリカ軍を引き連れ、朝鮮半島に戻る「手法」も、蒋介石が中国で行った事と全く同じです。
李承晩は、韓国政府にする「反対派」を「共産主義者の潰滅」と「反乱鎮圧」を理由に大量虐殺し、反政府分子を徹底的に潰しました。これも、蒋介石が、中国で戦争を起こした理由とほぼ同じです。その上、朝鮮半島の人々が、日本併合に反対していたという「嘘の歴史」で真実を塗り替え、これに異を唱える人々を、有無を言わさず、処刑して「口封じ」したのです。
中国では、毛沢東と新政府軍がいました。朝鮮半島では、金日成が軍隊を整備する前に、李承晩が兵士となる人々を無差別に大虐殺。北朝鮮は国家の樹立が精一杯で、李承晩を追放することは出来ませんでした。実質的には、韓国とは、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)であり、アメリカを利用して、「分家」が「本家」の略奪に成功したと言えるでしょう。
当然、李承晩は、日本の皇室で保護していた、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王家の「本家」の正統な王である「李垠陛下の帰国を拒絶しました。もし「分家」による「略奪」では無いなら、本当に「植民地の解放」だと信じていたなら、本家の王様は、日本に奪われた「人質」だったことに出来ました。本来であれば、韓国が帰国を拒否する理由はありませんでした。
しかし、韓国政府の樹立は「分家による謀反」だったからこそ、彼らは「李垠陛下」を、朝鮮半島へは絶対に帰国させなかったのです。「李垠陛下」が朝鮮半島へ戻れば、反政府活動のリーダーになるからです。「李垠陛下」は相当な脅威であった事は明白です。
李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王族の「本家」の韓国帰還の拒絶
結局、「李垠陛下」の朝鮮半島への帰還は、高齢になり病床生活になってから、ようやく日韓国交正常化の交渉により実現しました。これは、日韓国交正常化は、暗殺された朴正煕大統領が達成した事です。朴正煕大統領は、独裁政権を築きました。しかし、実際には、朴大統領は「反政府活動のリーダー」になり得る李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王家の「本家」一族を、朝鮮半島へ復帰させたのです。子息の「李玖殿下」を中心に革命を起こし、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王族の「分家」が樹立した韓国政府を、解体転覆させる計画だったかも知れません。
朴正煕大統領は、暗殺前年の「コリアゲート事件」で発覚した通り、アメリカとの関係構築も模索していたようです。しかしながら、朴正煕大統領の暗殺により、「分家」政府の転覆も、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王家の「本家」の復活も、道は完全に途絶えたと言えます。この辺りが、朴正煕大統領が暗殺された「真相」でしょう。
李氏朝鮮(Rhee Dynasty)王家の「本家」は、唐の時代から続く「世界遺産」的な血統でしたが、李氏朝鮮の王族内での「本家」と「分家」の対立の結果、「直系子孫」は断絶してしまいました。
李承晩と韓国政府による「嘘の歴史」捏造
戦後の歴史は、李承晩以降の韓国政府と、台湾逃亡後の蒋介石によって、「日本が全て悪かった」と世界中が信じ込むように「嘘の歴史」が捏造されたものです。また、その嘘の歴史は、世界中に情報拡散されました。そのため、日中戦争の本来の目的も、朝鮮半島の「日本併合」の本来の目的も、未だに、全く理解されていません。李氏朝鮮の王族(Rhee Dynasty)本家が、日本の皇室と非常に親密な関係であった背景も理由も全く理解されていません。
蒋介石が、中国での復権の為に、「南京大虐殺事件」など「中国で日本が残虐行をしていた」という嘘の歴史を捏造し世界を騙し続けて来ました。同様に、韓国では、李承晩と韓国政府が「朝鮮半島の南北分断は日本併合が原因だ」という嘘の歴史を捏造し、「慰安婦と徴用工が日本の奴隷だった」と主張し、世界へ虚偽歴史を情報拡散して来ました。そして、日本に多額の賠償金を支払わせて来ました。
こうして、李承晩が、朝鮮での復権の為に、また、戦況を有利にするために、行った民衆の大量虐殺の歴史は、闇に葬られました。この残虐行為を隠ぺいするためにも、韓国は「日本が朝鮮で残虐行為をしていた」という嘘の歴史を捏造し、南北朝鮮半島の人々、日本人、日本の「在日韓国人」、更には世界中を騙し続ける必要があったと言えます。
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在日韓国人の方々、帰化した「国籍だけの韓国人」の方々、在日北朝鮮人の方々、なぜ皆様が朝鮮半島から日本へ来たのか、来る必要があったのか、なぜ朝鮮半島へ戻れなかったのか、それらの「本当の理由」を知って下さい。
それでも、韓国による北朝鮮の軍事制圧に「協力する」のですか?
皆様にとっては、自分達の家族や親族を虐殺した政府ですよね。
本当の歴史を知って、正しい判断の上、正しい行動して頂けるようお願い致します。
在日韓国人(南)、
在日朝鮮人(北)、
帰化韓国人(南)、
帰化朝鮮人(北)、
皆様に言いたい!
日本の敗戦後は、「李承晩の大虐殺」により、日本併合で、日本人へ復帰した人々と、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の本家の皇太子と共に日本へ渡来した人々が、朝鮮半島へ戻れない状況が起りました。
皆様の先祖は朝鮮半島に戻りたくても、戻れなかった人々です。そうして、現在の「在日朝鮮人(北朝鮮系)」が形成されて行きました。
(韓国(南朝鮮)建国前)
韓国建国後、朝鮮戦争の休戦後は、韓国では、独裁からの脱却を目指し、市民や学生の民主革命(反乱)が全国規模で多発するなど、国内政治の情勢不安が起りました。結果、各地では韓国政府軍による「民間人の大虐殺」が継続していました。
結果、朝鮮半島から大量の韓国人が、生き延びるために、日本へ密入国して来る事態になり、現在の「在日韓国人(南朝鮮系」が形成されて行きました。
(韓国(南朝鮮)建国後)
この当時、
大量の韓国人避難民の密入国を「許可」
帰化の優遇政策など「救済措置」
を決めたのは、
日本政府であり、自民党です。
更に言えば、結局は
日本の天皇陛下
在日朝鮮半島出身の人々、特に在日韓国人(南朝鮮)の人々が、生き延びて、今、この日本で暮らしていられるのは、日本政府と自民党が支援したからです。何より、天皇陛下のお陰です。
なぜ、あなた方「在日」は、「命の恩人」である日本に対して、敵対するのですか?
日本政府や自民党は「味方」です。それを、まるで「親のかたき」かのように、常に反発を繰返している。
誰が、皆様の家族や親族を「虐殺」し「弾圧」したのか?
「李承晩」であり「韓国政府」ですよね?
その上で、
北朝鮮の軍事的な制圧による朝鮮半島統一に、
「在日(Koreans)」に「嘘の歴史」を吹き込み、
日本を軍事利用する為に
韓国政府は皆様を利用してますよね?
どうか皆様の本当の歴史を知って下さい。
騙されていることに気付いて下さい。