日英会談の真相

日英会談の真相

1939年7月、イギリスが「日本の東亜新秩序の建設に全面的に協力する」と誓約するに至った「日英会談」が東京で開かれました。当時の日本にとっては、「歴史的日英会談」という程の重要な会談だったようです。 現在の日本人は、日米戦争(太平洋戦争)の印象から、日本とイギリスの対立については殆ど認識が無いと思います。ですが、日中戦争時代、中国と日本が戦っていたのは、実はイギリスだったのです。 現在の日本近代史では、天津のイギリス租界で親日派の中国人の海関監督がイギリス側の人間により暗殺される事件が起き、「その犯人の引き渡しに関しての会談」という事になっています。しかし、実際には、日本とイギリスの「停戦協定」も同然の会談でした。この会談で日本とイギリスが表向きは「停戦」に至ったため、蒋介石がアメリカを軍事利用するに至ったともいえるでしょう。  

日英会談の真相 一覧


 

日英会談の真相1-イギリスの中国撤退の協定

昭和14年9月(1939年9月)発行の「歴史写真」では、「歴史的日英会談」として、1939年7月の「有田・クレーギー会談」の特集が組まれています。これは日本とイギリス間での「歴史的な」と題されるほどの重要な国際会談でした… 続きを読む ...

日英会談の真相2-日本の反イギリス、反蒋介石デモ

1939年7月に東京で開かれた「日英会談」では、日本全国で、反蒋介石、反イギリスの大規模なデモや集会が開かれました。現在の日本人は、日中戦争時代、日本が誰と戦っていたのかさえ正しく理解出来ていませんが、日本は直接的には蒋… 続きを読む ...

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