宋美齢米国反日活動の真相
日中戦争の間、蒋介石夫人の宋美齢は、抗日への支援を訴えるためアメリカ中を周り講演スピーチを繰り返していました。そして、宋美齢の抗日活動は当時のアメリカの大統領によって支援されていました。これを可能にしたのは、宋美齢がエレノア・ルーズベルト大統領夫人と個人的に非常に親しい関係にあったからです。エレノア夫人を通じて、蒋介石とアメリカ大統領との間に接点があったのです。
蒋介石夫人の宋美齢と第32代アメリカ合衆国大統領のルーズベルト夫人
右が宋美齢。左がルーズベルト大統領夫人。親しい友人関係だったようです。
蒋介石夫人の宋美齢に騙されたアメリカ
ルーズベルト大統領は、エレノア夫人を通じて、日本が中国で侵略戦争を行っており、多くの罪もない中国一般市民に虐殺されていると耳にしたのではないでしょうか。ルーズベルト大統領は、日本を執拗に嫌悪憎悪していたことで有名です。アメリカという大国の大統領だからといって、妻の親しい友人であった蒋介石夫人(宋美齢)から「南京大虐殺の証拠とされる写真」を見せられれば、日本人は悪魔のような「邪悪な民族」であると思い込んだとしても不思議はありません。
アメリカもイギリス同様に、中国での利権を狙っていた可能性はあります。しかし、ルーズベルト大統領は非常に正義感の強い人物であったと言われていますし、アメリカは大国です。イギリスのように物資を求めて他国に進出する理由はありません。それが敢えて中国問題に関与し、日本に対して経済制裁を行い、蒋介石に多額の軍事資金援助を行いました。
アメリカが日本を憎んだ理由
ルーズベルト大統領は、蒋介石による情報操作により、日本と当時の中国の情勢を完全に読み違った可能性は非常に高いでしょう。南京大虐殺の証拠とされる写真を見れば、ルーズベルト大統領でなくとも、嫌悪や憎悪の念を持って当然です。そして、宋美齢を信じ、全米での抗日活動を支援し、日本に経済制裁を行い、日本に太平洋戦争という熾烈な戦いを誘発するよう仕向けるに至ったのです。
アメリカは本来は「部外者」でした。アメリカが自国の民衆を犠牲にしてまで、蒋介石の中国での独裁を支援する必要はありません。日米間だけであれば、停戦協定や和平協定という「穏便な形での収束」は十分出来たでしょう。
ですが、蒋介石夫人の宋美齢が、アメリカ中を巡って、抗日反日と日本の残虐行為を一般市民い吹き込み、アメリカ市民へも憎悪を植え付けました。「蒋介石の真実」を知っている日本と中国新支那政府と満州国は、これに徹底抗戦の構えをみせ、戦争は予想外に長期化していきました。日本がアメリカに敗戦すれば、蒋介石がアメリカ軍を連れて中国へ乗り込んで来るのは明白だからです。
蒋介石と宋美齢を信じ切っていたルーズベルト大統領とエレノア夫人は、日本や中国や多分ロシアなどからの情報も、一切排除して、蒋介石の支援をしました。日本は「邪悪な民族」として殲滅すべきという「憎悪の念」から、停戦の機会を作らせず、日本中に焼夷弾を落とし焼き払い、更には、広島と長崎への原爆投下を決行しました。
8月6日の広島の原爆の後、通常であれば、日本に停戦交渉を申入れさせる時間が有って当然でした。しかし、アメリカは、日本に余裕は与えず、3日後の8月9日、長崎にも原爆投下しました。本土も焼野原。沖縄では、市民の逃げ込んだ洞穴に、火炎放射で、焼き殺しでした。
多くの日本人が、本来とても優しいアメリカ人が、なぜこんな惨い事が出来たのか、ずっと疑問だったと思います。ですが、アメリカ人からすれば、完全に騙されている状態で、日本を「邪悪な民族」と信じ切っていましたから、日本人は、民族として、世界から徹底排除するのが自分達の役目くらいに信じ切っていたのでしょう。あの「南京大虐殺の証拠とされる写真」を見せられれば、致し方なかったかも知れません。
ヨーロッパで迫害されたユダヤ人の多くが、アメリカへ移民していました。ドイツと同盟している日本は、彼らに取っては「邪悪な異常者」になってしまったのでしょう。当時のユダヤ人からすれば、日本は許しがたい民族だったと思います。
単なる敗戦ではなく、国家の消滅寸前まで追い詰めたのは、アメリカ大統領とアメリカ市民の心に、日本に対する異常な嫌悪と憎悪の念のためだったでしょう。これが、「中国での戦争を止めるための戦争」と思っていた米国が、極めて残忍な方法を取るにいたった理由です。「止める」というより、「潰滅」ための戦争だったのです。
一方、アメリカに、そこまでの嫌悪と憎悪が無ければ、アメリカが日中戦争に参戦する大義名分にはならなかったとも言えます。南京大虐殺の証拠とされる写真は、アメリカに嫌悪と憎悪を植え付け、軍事利用するため、捏造されたのです。
1940年には、ヨーロッパで第2次世界大戦が勃発し、ドイツがイギリスに進攻。本国防衛の為に イギリスはアジアから大きく撤退して行きました。蒋介石が、次の軍事支援先として、当時、フィリピンを植民地化していたアメリカへ目を付けたのは自然な流れです。100年近く前からアジアで植民地化を目論んでいたイギリスと異なり、アメリカへは中国大陸へ進出する理由はありません。アメリカを引きずりこむには、建前として、人道的なアプローチが必要だったと思われます。
ルーズベルト大統領の急逝と原爆投下
ルーズベルト大統領は、任期中、1945年4月に亡くなりました。原爆投下の4カ月ほど前でした。心臓発作だったようです。もし亡くならなければ、広島と長崎の原爆投下が中止になっていたかも知れません。また、これは推察ですが、3月の東京大空襲の後、もしかしたら蒋介石に騙されたことに気が付いたのかもしれません。
一方、蒋介石からすれば、アメリカ軍を中国本土へ進軍させ、政権を奪回する必要がありました。日本は完全に潰しておかなくてはなりません。蒋介石からすれば、広島と長崎の原爆投下は必ず決行される必要がありました。日本がアメリカに誤解されたまま、完全潰滅で敗戦しなければ、蒋介石の独裁も残虐行為も発覚してしまいます。普通に「話合い」で、停戦させてはならなかったのです。
日本とアメリカの間で、ほんの少しでも「話合い」の機会があれば、蒋介石の詐欺行為が発覚したでしょう。戦後に、結局、発覚したからこそ、アメリカは蒋介石の軍事支援を止め、李承晩の軍事支援も止めたのです。
それ故、蒋介石は、アメリカに、有無を言わせず、日本に原爆を投下させる必要があったのです。死因は「心臓発作」でしたが、蒋介石による毒殺だったの可能性も否定できないでしょう。当時、蒋介石は非常に追い詰められていたといえます。イギリスには長年に渡り多額の軍事資金の借款や軍事兵器の提供を受けていました。日本に負ければ、中華民国の代表として、その多額の借金の責任を追わなくてはなりません。その為、どんな手を使っても、中国を奪回したかったのでしょう。
原爆の日本への投下は、実行したのはアメリカです。
ですが、アメリカに実行させたのは蒋介石です。
だから、アメリカも騙された犠牲者です。
宋美齢のロビースト活動
宋美齢のアメリカでのロビースト活動の記事 WikiPediaより
宋美齢は親中派のフランクリン・ルーズベルト大統領やその妻エレノアと親密な関係を構築し、日中戦争から第二次世界大戦に至るアメリカの対日政策に大きな影響を与えたといわれる。第二次世界大戦中の1942年11月から1943年5月には、ルーズベルト大統領直々の招聘でアメリカを訪問し、アメリカ政府の全面的なバックアップを受けてアメリカ全土を巡回し自ら英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けた。特に1943年2月18日には、ワシントンD.C.のアメリカ連邦議会において宝石をちりばめた中華民国空軍のバッジを着けたチャイナドレス姿で抗日戦へのさらなる協力を求める演説を行い、並み入る連邦議員のみならず全米から称賛を浴びその支持を増やした。滞在時に抗日戦へのアメリカ市民からの義捐金を募るためにカリフォルニア州ハリウッドで演説した際には、メアリー・ピックフォード、ハンフリー・ボガートやキャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンなどの多数のハリウッドスターから大きな称賛と金銭的なものを含む支援を受けた。
また、アメリカをはじめとする連合国における抗日戦のシンボル的存在として蒋介石とともに『タイム』誌の表紙を飾るなど、第二次世界大戦中を通じて中華民国のファーストレディとして、そして夫で英語を話せない蒋介石のスポークスマン兼中華民国のロビイスト的役割を果たし、アメリカをはじめとする連合国における中華民国、そして日本に対する世論に大きく影響を与えた。また1943年11月には、蒋介石とフランクリン・ルーズベルト、イギリスのウィンストン・チャーチルがエジプトのカイロに集まって戦後の対日処理を決めたカイロ会談にも蒋介石とともに同席し、蒋介石の通訳を務めた。
ハワイの真珠湾を攻撃した理由
1941年11月のハル・ノートによりアメリカから最後通牒を受け取った日本は、翌月12月8日、ハワイの真珠湾を攻撃しました。これにより、太平洋戦争が勃発しました。アメリカとの戦闘がハワイから始まり、その後も太平洋上が戦闘の中心になったことから、太平洋戦争と呼ばれています。そのため、日中戦争とは別の戦争のように理解されていますが、この太平洋戦争は、あくまで日中戦争での戦いとして位置づけるのが正しいでしょう。
蒋介石がアメリカを日中戦争に引き込んだ目的は、中国本土の奪回のためでした。当然、アメリカ軍が中国本土に上陸する必要がありました。当時の中国では、蒋介石軍により破壊された都市もようやく復興しました。中国大陸5民族が纏まった新支那中央政府が樹立しました。日本と中国は、アメリカ軍が中国本土へ上陸することは絶対的に阻止する必要がありました。
蒋介石が中国本土で政権を握れば、再び、アジアの植民地化が始まるのは判り切ったことでした。アメリカは、当時、フィリピンを植民地化しており、フィリピン人の反乱鎮圧の為に大量の軍隊が駐留していました。蒋介石は、フィリピン駐留軍を中国本土へ進攻するよう目論んでいたでしょう。フィリピンであれば、立地的にも中国に近く、上陸も容易でした。また、これが軍事支援先としてアメリカを選んだもう一つの理由だったといえるでしょう。
なぜハワイだったのかは、アメリカ軍を中国本土から大きく遠ざける為だったといえます。太平洋上を戦場にすれば、日本が中国に展開していた陸軍の兵力を大きく割かなくとも、海軍と空軍によって対戦が可能でした。日本の戦略は、蒋介石にとっては、大きな誤算であったと思います。
その後は、日本とアメリカの間で熾烈な戦闘が繰り返されていきました。 日本の敗戦までの数年間の間には、当然、停戦や和睦の機会は折々ありました。アメリカ本土が攻撃されたわけではありませんでした。アメリカはヨーロッパ戦線でも出撃していましたので、日本とは早々に停戦に持ち込みたかったかも知れません。また、日本は1942年のミッドウェー海戦で大敗しました。両国間では平和的な停戦交渉の努力は続けられていたはずです。
一方、蒋介石からすれば、アメリカ軍を中国本土へ上陸させなければ政権の奪回は不可能でした。 太平洋上で戦争が終結してしまえば、中国本土での軍事展開は見込めませんでした。そこで、妻の宋美齢を使い、ミッドウェー海戦後の1943年もアメリカで抗日反日の講演を続けていました。 アメリカ政府や市民を煽り、太平洋戦争を停戦させないためでした。
日本の敗戦後は、蒋介石に有利な「戦後シナリオ」に基づき、歴史が歪曲され、定着して行きました。日本がなぜハワイを攻撃したのかも、未だに、殆どの日本人が知らないのではないでしょうか?