太平洋戦争開戦の真相

太平洋戦争開戦の真相

ハワイの真珠湾を攻撃した理由

1941年11月のハル・ノートによりアメリカから最後通牒を受け取った日本は、翌月12月8日、ハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発します。アメリカとの戦闘がハワイから始まり、その後も太平洋上が戦闘の中心になったことから、太平洋戦争と呼ばれ、日中戦争とは別の戦争のように理解されています。しかし、この太平洋戦争は、あくまで日中戦争での戦いとして位置づけるのが妥当でしょう。

蒋介石がアメリカを日中戦争に引き込んだ目的は、中国本土の奪回のためです。当然、アメリカ軍が中国本土に上陸する必要があります。当時は、蒋介石軍により破壊された都市もようやく復興し、中国大陸5民族が纏まった新支那中央政府が樹立した直後です。日本としては、アメリカ軍が中国本土へ上陸することは絶対的に阻止しなくてはなりません。

蒋介石が中国本土で政権を握れば、再び、アジアの植民地化が始まるのは判り切ったことです。アメリカは、当時、フィリピンを植民地化し、フィリピン人の反乱鎮圧の為に大量の軍隊が駐留していました。蒋介石は、フィリピン駐留軍を中国本土へ進攻するよう目論んでいたはずです。フィリピンからの攻撃であれば、立地的にも中国に近く、また、これが軍事支援先としてアメリカを選んだもう一つの理由だったといえるでしょう。

なぜハワイだったのかは、アメリカ軍を中国本土から大きく遠ざける為だったといえます。太平洋上を戦場にすれば、日本が中国に展開していた陸軍の兵力を大きく割かなくとも、海軍と空軍によって対戦が可能です。これは蒋介石にとっては大きな誤算であったと思います。

その後は、日本とアメリカの間で熾烈な戦闘が繰り返されていきます。 日本の敗戦までの数年間の間には、当然、停戦や和睦の機会は折々あったはずです。アメリカ本土が攻撃されたわけではありません。アメリカはヨーロッパ戦線でも出撃していましたので、日本とは早々に停戦に持ち込みたかったかも知れません。また、日本は1942年のミッドウェー海戦で大敗しています。両国間では平和的な停戦交渉の努力は続けられていたはずです。

一方、蒋介石からすれば、アメリカ軍を中国本土へ上陸させなければ政権の奪回は不可能です。 太平洋上で戦争が終結してしまえば、中国本土での軍事展開は見込めません。そこで、夫人である意宋美齢を使い、ミッドウェー海戦後の1943年もアメリカで抗日反日の講演を続けていました。 アメリカ政府や市民を煽り、太平洋戦争を停戦させないためです。

 

日本の敗戦後は、蒋介石に有利な「戦後シナリオ」に基づき、歴史が歪曲され、定着して行きました。日本がなぜハワイを攻撃したのかも、未だに、殆どの国民が知らないのではないでしょうか?

 

 

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