南京大虐殺という冤罪

The Truth of Japan-China War

南京大虐殺という冤罪

2017年6月より2019年6月まで「南京大虐殺の真相」というブログを展開しておりました。結論としては「南京大虐殺は冤罪」です。「冤罪」とは「既成事実」と「虚偽の証拠捏造」により成立します。しかし、「虚偽」であっても「やった」とする証拠が存在するため、「やっていない」という無実の証明は至難の業となります。

 

下の記事は南京攻略の直後に関する記事です。記事の左上の写真は、南京の避難していた中国市民が南京自治政府(臨時新政府)の新政府設立式会場へ「日本の国旗」を持って向かっている様子です。

支那事変写真 ー 南京に春立ちかえる

冤罪を捏造するトリック

1.虚偽被害の証拠を捏造するトリック

「やった」事の証拠は、物理的な証拠によって「証明」出来ます。また、「やった」事の証拠は「捏造」も出来ます。「証人」も探せます。しかし、「やっていない事」は「やっていない」ので証拠も証人も存在しません。何も証拠が無いことが「状況」としての「証明」です。捏造しようもありません。要は、「存在しない事実」=「やってない事」は、物理的な証拠では証明出来ないのです。

一方で、司法の世界では「証拠在りき」で全てが判断されます。「捏造された証拠や虚偽証言」を覆すに十分な証拠や証言が示せなければ、「冤罪」である事は証明出来ません。何かしらの嫌疑を受け、結果的に「やっていない」と判断(不起訴=法律的な無実の証明)された場合でも、「逮捕」に至れば「虚偽」でも「捏造」でも「やったとする証拠」が存在します。

巧妙な手口で「虚偽被害」の証拠を捏造された場合、それを完全否定出来る物証を見つけることは基本的に不可能です。特に、悪意ある「冤罪捏造事件」では、「虚偽被害の証拠」を捏造した上で、それを「実際の証拠」だと偽って「虚偽告訴」に至ります。南京大虐殺事件では、2名の日本兵が、こうした冤罪捏造の被害に遭い、裁判に掛けられました。

しかしながら、無実の人間は、無実だからこそ、「やっていないこと=無実」を証明しよがなく、虚偽被害の証拠を提示され、警察などが「騙されて信じ込んだ」場合は、無実を幾ら主張しても聞き入れられることはありません。結果「冤罪自白の強要」を受けることになり、それに屈すれば「有罪」にされます。証拠在りきの裁判制度の盲点ともいえます。事実がどうであれ、「証拠が揃えば」、それが「虚偽被害」であったとしても、「証拠」が優先されるからです。そして「証拠」により「判断」されます。

蒋介石という人物は、こうした「証拠在りきの司法」の盲点を突いて、蒋介石が行った数々の「大罪」を、全て、日本がやった事にするため、早期から「南京大虐殺の証拠」と言われる写真を捏造し、「日本の中国侵略と、中国人への暴挙」の「虚偽被害証拠」を準備し、日本を陥れました。

アメリカを騙して利用し、日本を破壊させたのです。蒋介石という人間は、歴史的にも稀に見る極悪非道な指導者であり、犯罪という観点では「知能犯」であったと言えるでしょう。

2.冤罪を着せた相手を自殺させるトリック

南京大虐殺事件では、当時、逮捕拘束された日本兵2名は「冤罪の自白」を強要され、無実だからこそ「徹底的に否認」したものの、「捏造証拠写真」により「有罪」となっています。その結果、有罪で処刑される屈辱より、無実を訴え自決することを選びました。裁判は、中国国内でしたが、当時、中国本土に戻った「蒋介石側の政府」下で行われました。 蒋介石と敵対していた、毛沢東率いる中国共産党の政府が裁判を行ったわけではありません。南京大虐殺事件は、蒋介石の政府で、日本兵を有罪にしたのです。当然、初めから「結果在りき」での裁判でした。

当然、「日本兵の自決」も想定内です。

「やっていない」と否認する場合も、「やった」と冤罪自白の場合も、「自決」はどちらにしろ「口封じ」になります。本人が「自殺」してこの世に居なければ、結果的に「真相は闇の中」です。これも、蒋介石という「極悪な人間」からすれば、「日本人の潔癖性」や「自決で無実を訴える傾向」を良く知った上で「仕組んだ」ことでしょう。

その後も、現在に至るまで、「やっていない」証拠は示しようがありませんので、司法判断的な観点では「無実」は証明しようがありません。本来は、国際司法に「再審」を訴えるべき事件と、私は思いますが、「再審」を請求すべき「十分な証拠」の確保は非常に厳しいと思います。それ以上に、中国や韓国などで「完全に信じ込んでいる人々」の誤解を解くところからのスタートとなります。

私が2017年に立ち上げた「南京大虐殺の真相」ブログは、ようやく「誤解を解く」スタート地点に立った程度と思います。幸い、それ以降、南京大虐殺事件で、中国と「やった、やらない」での過激な論争は収まったようです。日本と中国が、なぜ敵対する必要があるのか、全くもって意味不明な私としては、一先ず安心しましたが、中国と本当に仲直り出来るまでは「不安」は残ります。

日本の無実は、やっていないので、物理的な証拠で証明する事は不可能です。現在も起きている様々な「冤罪」事件の解決が長期化するのと同様、「物理的な証拠では無実を証明出来ない」ことが「南京大虐殺の論争」が戦後延々と継続した理由です。

警察の通常捜査でさえ、被害の証拠や証言が、「真実」か「虚偽」かについては、「徹底的な検証」はせず、まずは「被害が真実」として動くものです。虚偽被害で陥れ、濡れ衣を着せた相手が自殺(自決)すれば、「冤罪」なのか「有罪」なのかさえ有耶無耶に出来ます。南京事件では、濡れ衣を着せる日本兵を「2名」にしたのも、嘘に信憑性を持たせるためなのは言うまでもないでしょう。

南京大虐殺の冤罪を着た「日本兵2名の自決」こそが、冤罪を捏造する最大のトリックといえます。

 

3.マスメディアによる「洗脳」トリック

冤罪事件は、巧妙な証拠捏造トリックがあれば、中々、見抜けないでしょう。更には、マスメディアを利用した「犯罪者」イメージの捏造が行われた場合、それが「虚偽」であったとしても、大衆には「虚偽」が「真実」として広まり、やがては「定着」してしまいます。

「南京大虐殺事件」でも、TVなどマスメディアで「やった」ことを前提に多くの報道がなされました。日本人全員が「やった」と「完全に信じ込む」くらいに「徹底的な情報操作」だったと思います。その中で、真実を知る人々、捏造された証拠に疑問を持つ人々、実際とは異なると気が付いた人々が、夫々に「無実を訴え闘ったいた」と思います。この冤罪捏造トリックでは、日本が「無実を訴える」ことで、中国は「嘘だ」となり、結果、中国との「対立が深まる」という「二次被害」が発生しました。

 

冤罪捏造による二次被害

1.当事者間の「紛争」という「二次被害」

「南京大虐殺事件」は蒋介石による国際的な「虚偽告訴事件」ですが、蒋介石の巧妙さは、自分と敵対していた中国共産党に日本を責めさせた点です。

中国共産党=中華人民共和国の政府が、日本がやったと主張すれば、本当にやっていない日本は、当然、「無実を訴える」事となります。日中戦争とは、日本と蒋介石との戦いであり、日本と中国共産党は、表向きは「敵対関係」でしたが、張学良を中継し、実質的には味方同士でした。だからこそ、日本に味方した旧北京政府の軍閥勢力が、日本の敗戦撤退後に、中国共産党に全面的に味方したのです。

しかしながら、蒋介石は、巧妙な情報操作を行い、「南京大虐殺事件」をでっち上げ、自分の罪を日本に押し付けるだけでなく、中国共産党が日本を憎み、日本が中国共産党を憎むよう「対立の要因」を生み出したのです。

蒋介石は、アメリカ軍を引き連れて、中国本土へ舞い戻りました。当然、中国共産党勢力を潰滅するためです。アメリカ軍と中国共産党軍との間で、「軍事紛争」を生み出すためです。蒋介石は、アメリカに見捨てられるとは思っていなかったはずです。そのため、「南京大虐殺事件」を捏造し、中国の一般大衆に誤解を植え付ければ、蒋介石が中国を独裁した際には、親日派の中国人を抑え込み、日本の影響を完全にシャットアウト出来ると考えたのでしょう。

当時の中国人の大多数は「親日派」であり、「反蒋介石派」だったため、そうした大衆に、実際には、日本が「中国人に残虐行為」をしていたと訴えることで、中国人と日本人の「信頼関係」の破壊を目論んだといえます。事情や真相を知らない中国共産党の人々であれば、アメリカ同様に、騙されたとしても不思議はありません。

誤解の無いよう追記しますが、「南京大虐殺事件」は蒋介石の捏造です。しかし、中国では、ああした「一般民衆の大虐殺事件」が勃発していたのは「事実」です。これらの「残虐な大量殺人事件」は、全て、蒋介石政府の正規軍によるものでした。蒋介石政府は、極度の財政破綻状態であり、都市を襲撃し、民衆から金品や資産を強奪して「違法な財源確保」を繰返していた可能性が非常に高いです。日本人居留民も、反日抗日を理由に、強奪と襲撃に苦しんでいました。

そのため、中国では、当時、大量虐殺事件が各所で起きていたということは事実であるといえます。ただ、それは、蒋介石によるものであり、日本軍ではありません。

 

2.中国とアメリカの「国交断絶」と理由

日本の敗戦後、蒋介石は、アメリカ軍を引き連れて中国に乗込み、再度の独裁支配を目指しましたが、幸いにも、中国では、毛沢東率いる「中国共産党」が第3勢力として温存されていました。毛沢東、蒋介石には、家族を殺された個人的確執がありました。私心を捨て、蒋介石との協調体制も試みましたが、蒋介石には「協調」など有得無かったでしょう。蒋介石に気を許せば、中国で欧米の植民地化が始まり、中国での南北戦争が再開してしまいます。

日本の敗戦後、中国で、蒋介石と毛沢東の間で「大きな軍事衝突」が勃発したのはこのためです。当時は、第3勢力であった中国共産党が、アメリカの全面支援を得た蒋介石に勝てたのも、旧北京政府側(=反蒋介石派)が、毛沢東側に付いたためです。毛沢東は、結局、蒋介石を倒し、台湾へ完全に国外追放しました。アメリカと「国交断絶」を行い、アメリカ軍の完全国外排斥を行ったのも、これが理由です。アメリカと関係継続すれば、蒋介石により、中国本土が、再度、混乱しかねないからです。こうして、戦後も、蒋介石による中国の独裁の道は断たれました。

日本は大敗戦で極端に弱体化し、日中戦争及び太平洋戦争の責任も全て背負わされました。「南京大虐殺事件」が冤罪だと証明する「国力」も「国際的信用」も失っていました。当時は、日本はアメリカのGHQの統治下となりました。中国とアメリカが「国交断絶」となったため、当然、中国と日本との間でも「国交断絶」となりました。南京大虐殺事件の、日本の無実を証明出来る、中国側の「生き証人」や「無実の証拠」は提供される道も一切断たれました。

 

3.中国と日本との南京事件論争の勃発と継続

蒋介石が捏造した「南京大虐殺事件の証拠写真」と、日本が中国を侵略していたという「虚偽証言」により、南京大虐殺事件では、本来、中国共産党は無関係であったにも関わらず、蒋介石の国外追放された後も、尚、中国共産党と日本との間で、「やった」、「やらない」の論争が勃発しました。

南京大虐殺事件は、中国政府が裁判を行っていますが、その政府はあくまで「中華民国」という蒋介石が「勝手に中国全土の代表者」と主張していた国家において、蒋介石政府が裁判を起こした事件です。蒋介石と敵対していた中国共産党の政府は、この事件の裁判には関与していません。

それが、戦後も、延々と日中間の論争の「火元」となりました。その理由は、台湾へ逃亡後も、蒋介石が、日本と中華人民共和国との「不和」を画策したこと、蒋介石の死亡後は、蒋介石派であった韓国政府が、日本と中国との「不和」を利用して、停戦中の朝鮮戦争を再開し、アメリカ軍を朝鮮半島問題に再度関与させるためでした。

だからこそ、蒋介石が起こした事件を、なぜか中国共産党が取り上げるようになり、更には、中国の植民地化を画策していたフランスまでもが、南京大虐殺という「虚偽事件」を、まるで実在したかのように世界へ情報発信する事態が起きていました。そして、日本でも、世界でも、これをマスメディアが煽り、日本は嫌疑を晴らせず苦しんで来たのです。

残念ながら、TVなどマスメディアなどでは、自分達には第3者の情報操作に利用される「社会リスク」が常にあるという「自覚」が余り無いものかも知れません。真実かどうか確認のしようが無ければ、目立つ情報を優先して情報拡散が起きてしまうことも多いです。

結果、二次被害として、南京大虐殺事件が、中国と日本との国際関係上の「大きな障壁」となり、更には、両国の「精神的なわだかまり」が、南京大虐殺事件の論争が起きる度に大きくなるという状況が起きていました。

 

 

 

 

活動資金確保のためアフィリエイト始めました!

 

レンタルサーバーならこれ!

紀文でヘルシーにダイエット!

今日は紀文でおでんでも!

日本ブログ村に参加しています。読んだらポチっとお願いします。