戦後の歴史認識では、蒋介石がイギリスと極めて密接な関係にあった事は殆ど知られていないようです。当時のイギリスは、「基礎編」でのご説明の通り、アジア大陸の植民地化政策を遂行していました。日本も江戸時代末期に、イギリスとフラ…
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1937年12月14日は、日本軍による南京陥落の翌日です。この日、南京では、南京市民による「南京自治委員会(新政府)」が成立し、北京では「中華民国」の「北支政府」が樹立しました。 南京攻略は1937年12月10日から19…
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第2次上海事変は、1937年8月13日に蒋介石政府軍による「日本租界」への不法発砲事件を発端と言われていますが、軍事紛争に発展した理由は、翌日8月14日に2度に渡る上海市街地の無差別爆撃、更には、同日、日本軍の艦船に空爆…
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張学良の西安事件は日中戦争での「最大の謎」とまで言われています。蒋介石の側近ともいれた張学良が、蒋介石を襲撃し、拉致監禁する事件だったからです。しかし、「張作霖爆殺事件の真相」を読めば解る通り、張学良の父である張作霖を暗…
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