朝鮮半島の日本併合の真相1-李承晩の大虐殺1(朝鮮戦争前)
日本の敗戦後、1945年から、1965年までの20年間、日本と韓国は国交断絶していました。国交正常化したのは、1965年12月18日です。
李承晩は、1960年5月に、政府と国民から、独裁と大虐殺などの罪に問われ、韓国を追放され、アメリカ(ハワイ)へ亡命しています。当時既に85歳でした。5年後の1965年7月にハワイで90歳で死去しています。
日本と中国の国交正常化が、蒋介石が政界から完全引退した1972年であるのと同様、日本と韓国の国交正常化は、李承晩が死去した同年1965年に成されています。
在日(北)朝鮮人と在日(南)韓国人の形成
李承晩は、小型の蒋介石ともいえる人物でした。蒋介石が台湾で「独裁者」だったように、李承晩も韓国で「独裁者」となっていました。日本と韓国は1965年まで、交流がなく、韓国の戦後の20年については情報が入りませんでした。そのため、「李承晩の大虐殺」については、その後も、非常に長い間、極秘にされていました。
日本では、日本併合時には、多くの「倭国系(日本系)の朝鮮半島人」が、朝鮮半島から日本に来て、日本民族に同化して行きました。現在の在日朝鮮人(Zainichi Koreans)は、韓国の樹立のずっと以前から日本に来ていた人々の子孫です。
日本の敗戦後、朝鮮からの渡来人の多くは北朝鮮へ戻りました。朝鮮戦争のために戻ったのでしょう。「北朝鮮」は、日本併合派が北へ生き延び建国した国です。当然、日本併合派の朝鮮人が戻るのは全く問題ありませんでした。一方、彼らが韓国へ戻れば、李承晩の大虐殺の対象となります。戦後、朝鮮半島人の殆どが、韓国へ帰国出来なかったのは、そのためです。
北朝鮮へは、戦後「日本人妻が大量に帰還」しています。男性は祖国を守る為に先に帰還し、夫人と子供が後から帰国したためでしょう。戦後に、共産主義国家となった北朝鮮に戻ることを断念し、又、李承晩の独裁政権下した韓国へも戻れなかった人々が、現在の在日朝鮮人です。将来的な朝鮮半島への帰国を目指し、今も日本人への同化を躊躇していると思います。
一方、在日韓国人(南)は、戦後、「李承晩の大虐殺」と「韓国独裁政権下の民主弾圧」から、日本へ逃れて来た人々の子孫です。
現在の日本では、日本人もですが、在日朝鮮人(北)、特に、在日韓国人(南)の方々が、なぜ、自分達が今日本にいるのか、その理由を完全に間違って理解をしています。何があったのかについて、このサイトでの「写真」を見て、知って頂きたいと思います。
★尚、こちらに掲載している写真は、インターネット上に公開されている情報です。自分達の過去について正しく理解していれば、現在の韓国政府を支援する様な真似は絶対にやらないのではと思います。
初代韓国大統領
李承晩の報復大虐殺
朝鮮戦争は1950年6月25日に勃発していますが、勃発前に、李承晩は、幾つか民間人の大量虐殺を行い、戦争勃発後は、更に大規模な虐殺を行いました。
名目は「共産主義者の撲滅」ですが、本当の理由は、日本併合派への報復と、北朝鮮側(日本併合派)の兵力を削減するためです。そのため、老人に加え、女性や子供も含め、大量惨殺しました。「共産主義者の撲滅」が理由だったので、アメリカ軍は、共産主義国のソビエトとの敵対関係から、阻止出来ませんでした。李承晩をそれを承知の上で、後々、兵力を生み出す女性、兵力となる子供(幼児)も含め、無差別に虐殺しました。
朝鮮半島では、日本併合派の内、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の王族の「本家一族」を除いて、殆どが、元々は「倭人=日本民族と同じ先祖」でした。かつて李氏朝鮮が朝鮮半島を征服して以降、「奴婢(奴隷)」にされていた人々でした。李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の王族の「分家一族」である李承晩からすれば、単なる「奴隷」です。「犬猫以下の存在」だったのでしょう。その残虐さは「悪魔」としか言いようがありません。
これが、朝鮮戦争が勃発した根本理由であり、現在の朝鮮半島が南北分裂に至った「真の理由」です。
李承晩の大虐殺は、当然「韓国政府による大虐殺」でした。
済州島四・三事件
日時:1948年4月3日 ~1957年
犠牲者:島民約8万人
写真ー殺害された島民(左)と処刑を待つ島民(右):インターネットでの公開写真から
日本の芸能人の方で、済州島からご出身の韓国人系の移民の方々がいます。こうした移民のご両親やご祖父母の方々は、虐殺されたか、日本に逃れたのであれば、1948年の8万人規模の大虐殺からの生存者です。
私は1966年生まれですが、生まれた直後から記憶があり、小学校低学年の頃にははっきりした記憶もありました。私の記憶では、1970年代頃から、私の生まれた上野湯島界隈へは、韓国人移民が大量に増えていました。韓国人は、現在の中国人と同様、集団で投資して土地を購入していました。大人たちが「あそこも韓国人が買った。集団でお金を出し合って買われるので困る」と話していたのは覚えています。
私は、近所のあちこちに、大量の韓国人が生活する土地で育ちました。当時の日本人は、韓国の李承晩を憎んでいました。アメリカを利用し、日本に原爆を落とさせ、壊滅させたのは「中華民国」の蒋介石と、韓国の李承晩だったからです。日本人は韓国で何が起きていたかは知らず、日本人は正直「迷惑だ」とさえ感じていたと思います。しかし、韓国で、こうした悲劇が起きていたのであれば、どうして大量の韓国人が、密航してまで、日本へ逃亡して来ていたかも理解出来ます。
敗戦国となった日本は、アメリカの軍事力を利用し韓国で民衆虐殺を行う李承晩や韓国政府に対して、何も抵抗出来ませんでした。そのため、日本へ逃亡してくる韓国人を、密かに、大量に受け入れるしか方法がありませんでした。結果、現在、日本に、韓国人が大量に存在するのです。
参照元:うんしるブログ URL: https://jejueunsil.net/entry/jeju-history-jeju-uprising-4-3
以下、Widipediaの文章から
少なくとも約1万4200人、武装蜂起と関係のない市民も多く巻き込まれ、2万5千人から3万人超、定義を広くとれば8万人が虐殺されたともいわれる。また、済州島の村々の70%(山の麓の村々に限れば95%とも)が焼き尽くされたという。その後も恐怖から島民の脱出が続き、一時、島の人口は数分の一に激減した。
参照元:28の未来へ URL : https://chogo28.blog/the-day-when-the-jeju-4-3-incident-occurred/
上記記事:当時海上に投棄されていた遺骸(大量の遺骸)は日本人によって引き上げられ、対馬の寺院に安置されている。済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民は1957年には3万人弱にまで激減したとされる。
朝鮮戦争は1950年からです。済州島は、南部の倭人(日本人と同じ先祖)の領土だった地域であり、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)時代は、反乱や革命を起こした政治犯の流刑の地でした。言い換えれば、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)からの独立を企てた人々の流刑地です。そのため、李承晩は、真っ先に、済州島を狙ったのでしょう。済州島の人々が決起し、日本への再併合を求めて動き出す可能性が高いと考えたのでしょう。
上記記事:1950年に米軍から朝鮮半島を解放すべく朝鮮人民軍(北朝鮮)が進撃し朝鮮戦争になると「朝鮮労働党員狩り(共産党員狩り)」は熾烈さを極めた。1954年9月21日までに3万人、完全に鎮圧された1957年までに8万人の島民が殺害されたとも推測される。また、保導連盟事件が起きると本土と同様に刑務所で1200人が殺害された。
済州島の島民は、基本、倭人(日本人)にルーツを持つ人々であり、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)時代は、その殆どが奴婢(奴隷)にされていました。彼らは、奴隷解放のため、日本併合に賛同した人々です。李承晩の大虐殺は、済州島の独立を阻止するためでは無かったでしょうか。日本にも近かったため、真っ先に狙われたのでしょう。
済州島は「島」であるため、発覚する可能性も非常に低く、かなり残虐な行為が行われたようです。
麗水・順天大虐殺
日時 :1948年10月19日
犠牲者:一週間で2978名、
行方不明337名 – 合計で約3800名
この事件も、「共産主義者の撲滅」が表向きの理由ですが、実際には、日本併合に賛成した朝鮮人に対する報復大虐殺です。金日成に従い、朝鮮半島北部へ逃れた人々がいた一方、共産主義国家へは抵抗を示す人々も当然存在したでしょう。こうした人々が、李承晩に対し、各地で反乱を起こしたのは当然です。李承晩は、その反乱の鎮圧を理由に、軍隊を動かし、反乱に関わった人々に加え、非武装の民間人8000名が殺害されたと言われています。
以下、Widipediaの文章から
反乱は麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市)にも及んだが、李承晩大統領は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧された。残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続いた。事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。多くの者が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人となる背景となった。
参照元:HANKYOREH URL :http://japan.hani.co.kr/arti/politics/35310.html
麗水・順天事件、民間人犠牲者再審で検察が無罪求刑
上記写真:米国ライフ誌カール・マイダンス記者が取った1948年麗水・順天事件の惨状:麗水地域社会研究所提供//ハンギョレ新聞社
上記記事:検察が、1948年の麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件当時に反乱軍に協力したという容疑で死刑になった民間人犠牲者の再審で無罪を求刑した。
韓国の建国は1948年8月15日です。これ以降、日本へ密航、逃亡した朝鮮半島の人々が、「在日韓国人」となって行きました。これらの人々は、日本併合派の人々であり、日本からすれば「味方であり、特に金氏や朴氏などは元々は「倭人」であり、我々日本人とは同じ民族にルーツを持つ人々でした。日本が彼らの受入れを拒否する理由はありませんでした。
日本政府は、当然、特別難民措置を取りました。それが現在も大問題になっている「帰化」、「国籍二重」、「在日韓国人への社会保障」などの問題につながっているのです。
また、こうした自分達の過去の歴史を全く知らない「在日」により、現在の左翼が形成され、戦後も、韓国政府による北朝鮮の軍事制圧の日本側での工作に利用され続けています。
しかし、当時の「在日韓国人(韓国建国後の渡来朝鮮人)」は、日本が救済しなければ、李承晩の韓国政府に捕まり、全員、確実に処刑になったでしょう。そのため、日本政府は積極的に密航者や逃亡者を受入れました。
★★★★★★★★★★★★★★★
在日韓国人の方々、帰化した「国籍だけの韓国人」の方々、在日朝鮮人(北朝鮮系)の方々、自分達がなぜ朝鮮半島へ戻れず、なぜ朝鮮半島から日本へ来たのか、来る必要があったのか、その「本当の理由」を知って下さい。
それでも、韓国による北朝鮮の軍事制圧に「協力する」のですか?
皆様にとっては、自分達の家族や親族を虐殺した政府ではないのですか。
本当の歴史を知って、正しい判断の上、正しい行動して頂けるようお願い致します。
在日韓国人(南)、在日朝鮮人(北)、
帰化韓国人(南)、帰化朝鮮人(北)、
皆様に言いたい!
日本の敗戦後は、「李承晩の大虐殺」により、日本併合時に、日本人へ復帰した人々と、李氏朝鮮(Rhee Dynasty)の本家の皇太子と共に日本へ渡来した人々などが、朝鮮半島へ戻れない状況が起りました。
彼らは朝鮮半島に戻りたくても、戻れなかった人々です。そうして、現在の「在日朝鮮人(北朝鮮系)」が形成されて行きました。
(韓国(南朝鮮)建国前)
韓国建国後、朝鮮戦争の休戦後は、韓国では、独裁からの脱却を目指し、市民や学生の民主革命(反乱)が全国規模で多発するなど、国内政治の情勢不安が起りました。結果、各地では韓国政府軍による「民間人の大虐殺」が継続していました。
結果、朝鮮半島から大量の韓国人が、生き延びるために、日本へ密入国して来る事態になり、現在の「在日韓国人」が形成されて行きました。
(韓国(南朝鮮)建国後)
この当時、
大量の韓国人避難民の密入国を「許可」し
帰化の優遇政策など「救済措置」
を決めたのは、
日本政府であり、自民党です。
更に言えば、結局は
日本の天皇陛下
在日朝鮮半島人の人々、特に在日韓国人(韓国建国後の渡来人)の人々が、生き延びて、今、この日本で暮らしていられるのは、日本政府と自民党が支援したからです。何より、天皇陛下のお陰です。
なぜ、あなた方「在日」は、「命の恩人」である日本に対して、敵対するのですか?
日本政府や自民党は「本来味方」です。、それを、まるで「親のかたき」かのように、常に反発を繰返している。
誰が、皆様の家族や親族を「虐殺」し「弾圧」したのか?
「李承晩」であり「韓国政府」ですよね?
その上で、
北朝鮮の軍事的な制圧による朝鮮半島統一に、
「在日(Koreans)」に「嘘の歴史」を吹き込み、
日本を軍事利用する為に
韓国政府は皆様を利用してますよね?
どうか皆様の本当の歴史を知って下さい。
騙されていることに気付いて下さい。